金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

山の峰と石棒とノーモンで簡単に観測できた 縄文時代の太陽年観測

太陽の直接観測は、山の峰と石棒とノーモン 自身の影で簡単に観測できた
縄文時代の太陽年観測

世界各地の古代文明では、一年を観測するのは大変な苦労があったようです
以下にそれを掲載します。

引用しますーーーーーー

https://mathematica.site/web-mag/calendar/c-1/
第1回 暦の始まり:科学は天文学から始まった
から、その要点を示します。

古代の天体観測
太陽年と恒星年
古代、農耕牧畜が始まる前、狩猟採集時代においても季節の移り変わりを知ることは、生きていくうえでとても重要でした。季節によって採集で出る果実や狩りの対象となる動物は異なりますし、獲物がなくなる冬の前には、保存できる食物を蓄えなければなりません。
農耕牧畜が始まると、さらに精密な季節の移り変わりを知る必要が生じます。増えた人口を養うためにはより効率的な計画農業が要求されたからです。人びとは農作物の播種はしゅ、育成、収穫の適切な時期が季節と関係していること、季節の移り変わりは太陽の運行と関係していることに気づいていました。

古代の人々が、太陽、月、星々の動きをどのように観察していたのか見ていきましょう。まず、暦に関する天文学の基本事項を復習しておきます。1年の測り方は、太陽年と恒星年の2通りの測り方があります。1太陽年は、春分の日から次の春分の日までの時間を意味します。1恒星年は、太陽が黄道上をちょうど1周する時間です。

1太陽年 = 365.2422日   (1)  
1恒星年 = 365.256363日   (2)

上の(1)と(2)の値は、古代の値ではなく現代の値です。皆さんは1年が約365日と 1/4日であること知っていると思います。おそらく、「4年間観測すればこれぐらいの値なら、古代でも測定できただろう」と思っているのではないでしょうか。しかしこれはとんでもない間違いです。古代の人がどのように1太陽年と1恒星年を計測したか見てみましょう。

太陽年の計測:日の出の位置の観測
夏至から次の夏至までの期間が1太陽年です。夏至は太陽の高度が最も高くなるとき、言いかえれば、影の長さが最も短くなるときです。
棒を立て、太陽が真南にきた時の影の長さを測るとしましょう。棒が短いと正確に測れませんし、長いと影がぼけてしまいます。それ以上に問題なのは、毎日の影の長さの変化がとても小さいため、“影の長さが最小になった日”の判定が困難なことです。

もう少しまともな方法は、日の出の位置を観測することです。日の出の位置が最も北よりになる日が夏至です。ヨーロッパ各地に分布するストーン・サークルは夏至や冬至を観測するのに用いられていたと考えられています。

この方法では、地平線を見渡せる高台と、巨大な装置が必要です。では、この方法でどの程度正確に測れるのでしょうか。日の出の位置の1日当たりの変化はほんのわずかですから、正確に夏至の日を決定するのはとても困難です。また、(1)の数値は整数ではありませんし、古代人は整数しか扱えません。古代人は、毎年夏至から夏至までの日数を数え、何年にもわたって記録を取っていたと思われます。4年間観測して、夏至から4年後の夏至までの日数が、たとえ 365×4+1 = 1461日であったとしても、この数値は誤差を含んでいる可能性があるのです。この方法で、(1) の小数点以下2桁まで得ようとすると、数百年の観測が必要となります。

恒星年の計測:シリウスの観測
古代エジプト人やメソポタミア人は、(2) の恒星年も計測していました。ある星が日の出の直前に現れることを旦出たんしゅつといいます。通常、昼間星は見えませんが、十分に明るい星は、日の出の直前に見ることができます。これは天球において、太陽がその星の近くにいることを意味します。
古代エジプトでは、シリウスの旦出を観測していました。シリウスの旦出がナイル川の氾濫を知らせるからです。

一方バビロニアではフンガ星の旦出を観測していました。フンガ星の旦出が春の訪れ(春分の日)を知らせるからです。

日周運動と年周運動
ここで少し天文学の復習をしておきましょう。星々は天球に貼りついていると考えます。日周運動では、太陽は星々と一緒に1日一回転します。年周運動では、太陽は天球における太陽の道、黄道を1日に約1度、日周運動と反対の方向に、つまり西から東に移動します。ある日、太陽がシリウス星のところにいたとします。シリウス星は太陽の光で見えません。9日経つと、太陽はシリウス星の東9度のところにきます。シリウスの旦出はこのとき生じます。朝、東の地平線下約9度のとき、シリウス星は地平線上に姿を現すのです。

シリウスの旦出と閏年
古代エジプト人は「1年を365日とする暦」を使っていました。この暦では、シリウスの旦出は毎年約 0.25日遅れ、したがって4年で1日遅れます。ある年の1月1日にシリウスの旦出があったとすると、4年後の1月2日、8年後の1月3日がシリウスの旦出の日となります。すると

365年×4 = 1460年

ですから1460年後の1月1日に再びシリウスの旦出が起きるのです。なんと千年以上も後の話です。現在の私たちの暦は4年に1度の閏日を持っています。これは古代エジプト人が千年以上の年月をかけて観測した結果なのです。

フンガ 星の旦出
バビロニアにおいても同様のことが起きていました。暦を始めた最初の頃は、フンガ星の旦出は春分の日を知らせるものでした。しかし次第に春分の日の太陽はフンガ星から離れていきました。これを春分点移動といいます。今度の場合は (1) と (2) の差です。

365.256363 ? 365.2422 = 0.014163

1年で 0.14日ですから、千年でたった14日です。こんなわずかな違いにバビロニア人は気が付いていたのでしょうか。メソポタミア文明の終わりの頃には、フンガ星はもはや春分の日を告げる星ではなくなっていました。フンガ星はおひつじ座のα星(もっとも明るい星)です。
紀元前から紀元後へと世紀が変わる頃、春分点は「おひつじ座」から「うお座」に変わろうとしていました。この事実はキリスト教の布教に利用された可能性があるのです。さらにヨーロッパ中世のキリスト教では、暦の上でいつが春分の日となるかが重大な問題となっていました。

ーーーーーー引用終わり

チャイナを含めて、西アジアから西の古代文明では、太陽年さえも正確に観測できていなかったようです。そのために星を観測していた、星占いが発達する訳ですね。


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