金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

両面加工尖頭器の開発は新石器時代の始まり 石刃、ナイフ型から尖頭器への進化過程

両面加工尖頭器の開発は新石器時代の始まり
石刃、ナイフ型から尖頭器への進化過程

 

            図 神子柴型石槍


     図 岩宿の石槍

 


            図 道下遺跡 
これらの石槍の開発が始まったのは
新潟津南町の尖頭器開発から始まっていたのではないか

 

信濃川と火焔土器の分布

この地域ではサケ漁のための石刃、ナイフ型石槍の改良が進められていたようだ
それは両面加工尖頭器開発の歴史過程を示す始めの遺跡が、サケの猟場である信濃川流域の
河岸段丘上に数千年以上展開してきた、ここで両面加工尖頭器が開発された
すぐね、道下、貝坂、越那などの遺跡の時期である

図 石刃

 

図 ナイフ型

 

           図 両面加工尖頭器類

 

 

日本列島には、西ヨーロッパでクロマニヨン人が開発した石刃技法が、北と南の二方面から入り込んで
石刃、ナイフ型からの変遷がサケ漁を主な生業とする信濃川流域で行われたのでは無いか
石刃技法の石器はサケを捕るために、繰り返し使用に耐えられず、折れやすかった。
それは石刃の曲がりが応力を集中してしまい、疲労してしまうためでは無いか。
狩猟では石刃の槍でも、一回の使用で折れてしまったとしても、一頭倒すことが出来れば
食料はかなりの量が手に入る。
サケ漁の場合は、それに相当する量を確保するには、数十匹のサケを捕らえる必要がある。
石刃の槍ではそれに耐えられず折れてしまい、多数の槍を必要とし、それには大変な労力が
掛かったのでは無いか。
それを改良したのが、形のバランスが取れた両面加工尖頭器である
この技術はそれまでの打製石器の技術では無く、薄い剥片を石器表面から剥がすような
新しい技術が工夫され、その作業を何百回と無く繰り返すことで加工される石器である
それを行うためには専門的技術者が存在するようになっていたのでは無いだろうか。
槍でサケ漁を行う漁業者と尖頭器を作り漁業者に供給して生計を立てる専門的技術者である
それにはさらに石器の原石である黒曜石などを供給するものの存在も必要となっていたかも知れない。

 

          図 旧石器時代からの年表

 

両面加工尖頭器の製作技術、これは何時間完成したのか
津南町の遺跡からは年代が明確にされていないので
岩宿や神子柴遺跡の年代を基準として、並列させてみると
4万年前頃に当たるのでは無いかと考える。

信濃川沿いのサケ漁を主とする地域と、狩猟を主とする他ない内陸とは
石器作りでかなりの技術格差があったのでは無いか
狩猟の槍として両面加工石器の尖頭器を利用するにはコストが掛かりすぎたのでは無いか

内陸では狩猟のため弓矢が開発された。
石鏃開発の時期は、弓が開発された後からで、爪形文土器の成立頃である
石鏃は小さく、サイズの大きい尖頭器を作る手間から比べれば、数十分の一程度のものでは無いか
狩猟用の石鏃の製作に両面加工技術を利用したとしても、コスト的に見合うものだったのでは無いか

 


図 諏訪湖底遺跡 曽根遺跡の石鏃製作

両面加工尖頭器の専門技術集団が既に居た可能性があると考えるので、石鏃の場合にも始めから
そのような技術を持った製作集団が居た可能性もあるのでは無いか。

クロマニヨン人の石刃、ナイフ型石器から、両面加工尖頭器への進化は、遺跡の歴史から見えてきたように
津南町ないし信濃川流域で行われたものと考える。それは世界最初の両面加工石器の誕生では無いか、
そしてその後、西のユーラシアと、東のアメリカ大陸まで広がっていったのでは無いか。
石鏃に関しても、日本列島で弓矢の開発が行われ、これも同様に両大陸に広がっていったものと考える。
土器も同様では無いだろうか。

図は各展示館などからお借りして、一部手を入れています

引用しますーーーーーー

https://mathematica.site/web-mag/web-mag-babylonian/invention-of-numbers-12/


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