纏向遺跡へは各地から土器が集まっている。
纏向遺跡の初めは、石塚古墳に見るように立春観測による暦作りからだった。
そして最後は箸墓に見るように夏至を観測する暦作りとなり終わった。
立春 その日は一日しか無いので、正確な太陽暦なしには観測は難しい。これには正確な太陽暦が必要でその予報は神秘的で、魔術に近いものだろう。
太陰太陽暦なら、十日前後にわたり日の出の位置は殆ど変らないので、冬至の方向と夏至の方向程度の観測で暦作りには充分。
箸墓以後、その後の前方後円墳作りは日の出方向は特に問わなくなったものと考える。
図はお借りしました