2024.10.18 追加記載しました
農耕の起源は何処か、これは今でも問題である
1.エジプトは栽培植物の起源地では無い
図 500万年のオデツセイ から引用
2.エジプトへはメソポタミアから伝わったというのが現在の共通認識である様だ。
3.メソポタミアは栽培植物の原種の存在から見て起源地の一つであるとされる。
4.農耕に必要なメソポタミアのカレンダーは春分を基準として、
それをカペラの出を観測することにより知っていた。
太陽観測をしていた根拠は無い。
5.この時期にカレンダーを持っていたのは、縄文文化のみ
太陽観測は石棒と山により、その記録は土器に突起として遺されていた
図 縄文土器から見える生業開発とこよみ開発の歴史経過
6.縄文時代後期には二十四節気の暦を完成していたと推定出来る
それを観測する天文台として、金生遺跡の太陽暦観測施設が現存してある
図 太陽暦観測点
7. 縄文時代のカレンダーは365日、月齢は曜日で示していた
カレンダーの正確性は半年ごとの毎年の観測で維持していた
図 観測点とこよみ
8. 20000年前から10,000年前までの歴史は、「500万年のオデッセイ」から見て、
この今の西ヨーロッパの古代史認識では、この間の穀物栽培の起源と開始や弓矢猟の開発、
石鏃開発、太陽暦開発などの重要な文化事項が欠落しているように見える。
この間の歴史は縄文土器に記録されている。
図 10800年前からの栽培化 「500万年のオデツセイ」から引用
9.文明史年表
2024.10.18 追加記載します
「500万年のオデッセイ」の東アジアに関する認識は次の図
図
土器発生については縄文土器に関しても認識が無い
本来はこのようになるので、この間の農耕開始までの重要な文化進展を行っていた新石器時代の認識が欠落している。
図