金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

土器 粘土は第三の道具・記録メディア

これまで縄文人が使った道具は、二種類に分けることができるとされていて
 一つは、生業生活において直接役立つものです。弓矢、石斧、石皿などが挙げられます。こうした道具を、小林達雄先生(考古学者・國學院大學文学部名誉教授)は「第一の道具」と呼びました。
それに対して、生業には直接役立つわけではないが、土偶や石棒など呪術や祭祀に使用されるものを「第二の道具」と呼びました。という

 第一の道具は直接生産に関わるものです。第二の道具は、基本的には精神文化に関わる祈りの道具です。
 土偶は、第二の道具の典型例です。
 石棒も第二の道具の典型例です。
 この第二の道具を詳しく見ていきましょう。石棒はいわばファロス、男性器の象徴です。対して土偶は、基本的には女性です。関東から中部高地にかけて出てくる中期の土偶の多くは基本的にお腹が大きく、妊産婦を表現しています。
このような説明があるが、しかしそのような仕分けは問題があると考える。

特に土器はシュメール文明に見るように、記録材料としての使用があると考えている。
それは土器が造られたとき草創期から前期までは、生業開発の画期とされるときには、生業のために開発した道具を用いて土器に記録を残し、生業の完成を喜んで供献土器として聚落で祭を行ったものと考えている。
草創期から前期まで


早期から前期まで


素晴らしい形態の土器が造られ残されてきたのは、日常使いの土器では無い、たった2%ほどの特別に制作された土器であるようだから。

 稲田孝司は縄文土器文様の性質が中期を境にして縄文時代の前半と後半とで大きく異なることを論じている。前半期には、縄文・押型文・貝殻文・竹管文などのように施文具の材質や形態に規定された文様、すなわち「施文具形態文様」が発達した。それに対して、後半期には、独特な単位文や区画文を沈線などで表現する「方位形態文様」が著しく発達したことを見出し、中期を境とした大きな質的変化の意味を追究した(稲田1972)。
という
土器の変化


土器の第三の道具としての見方が欠けていると思う。粘土は思いを表現するのに大変優れている、そしてそれは焼くことで腐らず何時までも残すことが出来る。
そうした性質から土器は情報を記録する最良の材料であること、粘土を造形することで土器に縄文人達のどんな思いが、何が表現されていたのか、単に模様や形を作ったのでは無い、それを見なくては縄文時代が何であったのかを見失ってしまう。
シュメール文明では文字で記録されたのと同様に、縄文時代には造形することで記録が残されていたものと考える。
模様も突起も何者かを表すために造形されているはず。
複雑な模様から何かをくみ取る前に、その一番分かり易い例を見極めるべきであると思う。

図はお借りしました

引用しますーーーーーーーーーーーーーー

 山内晴男は世界の先史土器と比較してみたときの縄文土器の特質として、縄文の発達とともに口緑部の把手・突起の多さを挙げ、早期・前期に発生した小突起が中期にいたって世界に例のないような雄大な口緑装飾を生みだしたことに注目している。
また、土器型式が移り変わる中で文様は変化していくが「文様帯」は継承されているという重要な見方(文様帯系統論)を提起し、中期後半から晩期にかけて文様帯の系統が連続していたことを論じている(山内1964)。

 稲田孝司は縄文土器文様の性質が中期を境にして縄文時代の前半と後半とで大きく異なることを論じている。前半期には、縄文・押型文・貝殻文・竹管文などのように施文具の材質や形態に規定された文様、すなわち「施文具形態文様」が発達したのに対して、後半期には、独特な単位文や区画文を沈緑などで表現する「方位形態文様」が著しく発達したことを見出し、中期を境とした大きな質的変化の意味を追究した(稲田1972)。
++++そうなのか

 小林達雄も重要な見方を提起している。樹皮籠や皮袋などの形を模写した草創期に対して、早期に土器と文様の主体性が確立したが、縄文土器の文様は、施文具の圧痕や簡単な図形による単純な「装飾性文様」から、土偶の発達などに示される神話的な世界像を表現した「物語性文様」へと、その性質が大きく変化したことを論じている。小林もまた中期における大きな質的変化を捉えており、土偶などの第二の道具の発達にも関連した縄文固有の世界観の確立・深化を表すものと理解した(小林1994)。
  

 松本直子は縄文土器文様の長期的な変化を、人間の視覚情報の認知と視的技法という視点から検討している。
実用機能としては意味のない文様を土器につける理由には、①見るものに視覚的快感を与えるため、②技巧的に優れていることを示すため、③象徴的な意味や力をあらわすため、という3つがあると考え、前期までは①が卓越したのに対して、中期には③が顕著となり、後期・晩期には②が主流になると論じている(松本2008)。
 各論者の視点は異なるが、中期に土器文様の大きな質的転換が起こったことは確かである。器を超越した過剰デザインの爆発的開化はいったい何を意味しているのだろうか。なぜあれほどまでに土器の造形にエネルギーを注ぎ込み、何を表現したかったのであろうか。
ーーーーーーーーーーーーーー

●縄文人が使った道具は二種類に分けることができる

 縄文時代の人たちは、以上のようなマンパワーや物理的な方法を用いる一方で、祈るという観念的な方法でバイオマスの維持や増産を企図していました。

 例えば、石斧やドングリを粉にする石皿、磨り石といった、縄文人が使ったさまざまな道具は、大きく二つの種類に分けることができます。

 一つは、生業生活において直接役立つものです。弓矢、石斧、石皿などが挙げられます。こうした道具を、小林達雄先生(考古学者・國學院大學文学部名誉教授)は「第一の道具」と呼びました。それに対して、生業には直接役立つわけではないが、土偶や石棒など呪術や祭祀に使用されるものを「第二の道具」と呼びました。

 第一の道具は直接生産に関わるものです。第二の道具は、基本的には精神文化に関わる祈りの道具です。

 土偶は、第二の道具の典型例です。

 先ほどから説明している、石棒も第二の道具の典型例です。

 この第二の道具を詳しく見ていきましょう。石棒はいわばファロス、男性器の象徴です。対して土偶は、基本的には女性です。関東から中部高地にかけて出てくる中期の土偶の多くは基本的にお腹が大きく、妊産婦を表現しています。

 男性と女性、そして妊娠・出産という側面が介在しています。このような女性性や男性のシンボルが、第二の道具の中では全面的に押し出されているのです。先ほどから説明している通り、土偶や石棒は、男性性や女性性の象徴であり、縄文時代の精神文化を形成する、最も代表的なものであるといえます。


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