シュメールの暦は1年の長さが他の単位と違ってはっきりしないといわれている、しかし計算に合わないのではないものでした。月の満ち欠け周期は30日で12回の満ち欠けを繰り返す。1年は、本当に360日の暦だった。
シュメール人が「円周を360度」に定めたのも「暦が360日」だからである。
春分日を元旦として360日の暦を作り、暦の最後の春分になるまでの残りの日にちは祭の日として楽しみ、春分の日が年の最初の日となり聖婚の祭を行った。その春分の日はカペラが出るのを待って決めていた。
カペラを観測して春分の日を決め、暦の初日としていたので暦が狂うことは無かったはず。
年の初日 女神官の行う重要な儀式は「聖婚儀礼」であり、これは、その年の豊穣を願って宇宙のはじまりの日とされた元日(今の春分)に行われるもので、神に扮した王と女神官が交合するという儀式である。「聖婚儀礼」はシュメールの円筒印章の絵柄に多く用いられている。
写真お借りしました 出典:図説メソポタミア文明
春分の日を決めたカペラは長い間にずれて別な星座に移っていた。
これは夏の夜の夢でした。
引用ーーーーーー
…メソポタミアの度量衡度量衡は必ずしも記数法を反映しない。例えば、英国は、十進法
の記数法を用いているにもかかわらず、1971年2月13日まで 1ポンド = 20シリング、1シリング = 12ペンス という変則的な通貨単位を用いていた。メソポタミアの度量衡はそれに勝るとも劣らず変則的であった。ここでは、メソポタミアの度量衡を概観し、六十進法との関係を見ることにしたい。
まず長さであるが、六十進法では間が空きすぎるからなのか、中間的な単位が多数存在する。各単位間の比は 60 の約数や倍数になっており、六十進法で表記する上で都合が良いようになっている。
…時間の単位であるが、1年が 12×30=360 日に分割され、さらに1日も 12×30=360 の下位単位に分割された。今日私たちは時間に関しては六十進法を用いているが、皮肉なことに、シュメール人たちは、時間に関しては三百六十進法を用いていたのである。
エジプト文明が十進法であったのに対して、メソポタミア文明が六十進法であった理由を考える上で、両者の暦の差が参考になる。エジプト文明が太陽暦を採用していたのに対して、メソポタミア文明は太陰太陽暦を採用していた。太陰太陽暦とは、月の満ち欠けの周期である30日(より厳密には、29.53日なので、29日の月も混ぜなければならない)を1月とし、1年を12月とし、毎年11日ほど生じる回帰年とのずれを19年に7回の割合で閏月を挿入することで縮小する暦である。これに対して、エジプトの太陽暦は、1年を365日としており、暦の月と月相のサイクルは対応しない。メソポタミア文明が月の満ち欠けのサイクルを重視したのに対して、エジプト文明は太陽の回帰サイクルを重視したと言うことができる。
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12は太陽と月という二大天体の関係を規定する数字。
六十進法は、人間の秩序(10)と神の秩序(12)、地上の周期(10)と天の周期(12)、十進法と十二進法の調和(最小公倍数)を意味しているのかもしれません。
ちなみに、黄道十二星座や黄道十二宮もシュメールが起源。
黄道(天球上における太陽の見かけの通り道)を12に分割し、毎月太陽が通過する12の星座を割り当てました。
12は一年のみならず一日も黄道も12分割していたことからもわかるように、シュメールにとって重要な数字。
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春分点は、黄道360度のスタート地点・牡羊座に太陽が入る1年始まりの日
現代の占星術が、夏至でも冬至でもなく、ましてカレンダーの1月1日でもなく、太陽が春分点に到達する時、すなわち太陽が白羊宮(はくようきゅう・牡羊座)に入る時を1年の始まりと考えているのは、遠くバビロニアの暦法の流れを汲んでいるためです。
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文中の1万年というのは、大時代的すぎるとしても、シュメール人は、驚くべきことに、すでに前3000年頃までには、季節を夏と冬に分け、1年を12月に分け、1カ月を30日程度とする暦を作っていたようである。暦を調整するために、閏月(うるうづき)を設けることもなされていた。彼らは古くから60進法を採用し、1年を360日とし、円形のものを360度で分けていた。
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60進法
バビロニア算術の特異性の一つは、常に60と言う数字を使うことである。--その使用は、最後には60分割の分数への発展を示し、今日でも、角度、時間、分、更に小さな単位に分割するときに用いられている。
一般に、バビロニア人たちは星を観察することに興味を持っていて、早い時期から、一年の循環が360日で成り立っていると信ずるようになっていたと考えられている。また、円に内接する正六角形の一辺が、円の半径と等しいことも知っていたと考えられている。この知識は、360を6つの等しい部分に分割できるということを示しており、こうして60は、一種の神秘的な数と見なされたのであろう。実際、これが60という数を用いることになった起源であるかも知れないが、他の民族では、40や20、15さえも、幾らか同様の仕方で用いられていることを、明確な理由は全くないが、見いだしているので、こうした習慣は、心の中に特別な理由があるのでなく、指導者やあるいは宗派によって始められた民族の観念から発展してきたものかも知れない。一層可能性のあるものとしては、60は2,3,4,5,6,10,12,15,20,30という整数の約数を持っているために選ばれたのかもしれないことである。そうしておけば、その分数の扱いはとても簡単になる。
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ともあれ、天文学に動機づけられないと、"三角関数"のような考え方が便利だとは、なかなか思わないものなのかもしれない。考えてみると、角度の概念は日常にもありふれてる気がするのに、一回転360度というのさえ、天文学の影響が見られる。中国では、長い間、一回転は、"365.25度"だったらしく、天文学の影響が、より明らか。https://m-a-o.hatenablog.com/entry/2019/09/22/185559