金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

太陽と縄文人の遺跡

縄文人の遺跡では
1. 二至が有る遺跡 夏至と冬至を知っていたもの 二至の暦が作れる 
 冬至と夏至の位置では太陽は、前後十日ほど位置を変えないそうなので、その方向は簡 単に決められると思います。
縄文早期
【極楽寺遺跡】 富山県上市町の     早期~前期の攻玉遺跡。
 冬至には大日山(立山連峰の1峰)から日が昇る。

縄文前期
【三内丸山遺跡】 青森県青森市の    前期・中期の集落跡。国史跡。
 大型木柱遺構の方向と夏至の日の出・冬至の日の入線がほぼ一致。

縄文中期
【砂押遺跡】 群馬県安中市の      中期の環状集落。
 環状集落の中央広場からみると、冬至に大桁山に日が沈む。
【野村遺跡】 群馬県安中市の      中期の環状列石。
 この場所から見ると冬至に妙義山に日が沈む。
【不動堂遺跡】 富山県朝日町の     中期の集落。国史跡。
 冬至には朝日岳と前朝日の間(鞍部)から日が昇る。
【大柴遺跡】 山梨県須玉町の      中期~後期の環状列石。
 夏至には金峰山から日が昇る。

縄文後期
【石倉貝塚】 北海道函館市の      後期の環状列石。
 中央と南東の立石を結ぶ線の延長線上から冬至に日の出。
 また、中央と南西の配石群を結ぶ線の延長線上に冬至の日没。
 水野正好 1996(石倉貝塚の報道のコメント):
「縄文人が冬至などを意識していたと立証するには材料が乏しい。この遺跡が偶然一致し ただけで、全国的なものではない。」とある。
【小牧野遺跡】 青森県青森市の     後期の環状列石。国史跡。
 現在馬頭観音となっている配石と中央とを結ぶ線が夏至の日の出線と一致。
【大湯環状列石】 秋田県鹿角市の    後期の環状列石。国特別史跡。
 万座と野中堂の日時計状特殊組石を結ぶ線が夏至の日没線。
【伊勢堂岱遺跡】 秋田県鷹巣町の    後期の環状列石。
 環状列石C:外環のまとまりが30度づつ区切られており、その区切りが、中心-直列石 のラインを中心に磁北ライン・夏至の日の出ラインなどと重なる。
【チカモリ遺跡】 石川県金沢市の    後期の遺跡。国史跡。
 ウッドサークルの入口?が、冬至の日の出の方向を向いている。
【寺野東遺跡】 栃木県小山市の     後期の遺跡。国史跡。
 環状盛土の中の円形盛土と中央の石敷台状遺構とを結ぶ線上に冬至の日の入を望む。

【田端遺跡】 東京都町田市の      後期~晩期の環状積石遺構。都史跡。
 冬至には、丹沢の主峰蛭が岳に日が沈む。
【アチヤ平遺跡】 新潟県朝日村の    縄文時代後期―晩期
 環状列石を伴う拠点集落。 夏至の日、朝日岳から日が昇る。

2. 二至二分暦がある遺跡  春分、秋分の時期は、日毎に太陽の出る位置は動きが速いので二分の日数91日を知っていたのでしょう。ここまで来るとこれを知る遺跡数は激減する。
文献に有るデータなので、二分がどの程度明確に遺跡にその痕跡があるのかは実地確認はしていないので不明です。

縄文前期
 阿久遺跡  長野県諏訪郡原村     前期から 環状集石群 列石
  春分に権現岳から日が昇る

縄文中期
【水口遺跡】 山梨県都留市の      中期の環状列石。
★ 春分の日没が地蔵岳に落ちる。
【牛石遺跡】 山梨県都留市の      中期の環状列石。
★ 春分の日没が三つ峠山に落ちる。

縄文後期
【樺山遺跡】 岩手県北上市の      後期の配石墓群。国史跡
★ 春分・秋分の日、前塚見山に日が沈む。
【天神原遺跡】  群馬県安中市の    晩期の環状列石。
★ 中央から3本の立石を結ぶ線の延長線に妙義山(三峰)を望み、春分・秋分には妙義山に日が沈む。 また、冬至には大桁山に日が沈む。

       日没 写真 お借りしました

朝日が昇るという遺跡は・・・無いものの、夕日が沈む事から、春分と秋分は知られていたことが分る。
現代人でも神秘的とかびっくりしたとか、大勢の人が集まってびっくりしているほど。
地域の歴史に興味を持つきっかけになればうれしい」とも。神社がパワースポットとなり、地域に元気をもたらしてくれることも願っているという。
4500年以上前の縄文遺跡の神秘的な山の峰への日没には、もっと驚いても良いのでは。

引用ーーーーーー

鳥居の真ん中、通った太陽 発見のヒントは「インディ・ジョーンズ」
 朝日新聞社 2021/09/26 12:52 

鳥居の真ん中を太陽が昇っていった=2021年9月23日午前5時50分、浜松市東区半田町の六所神社c 朝日新聞社 鳥居の真ん中を太陽が昇っていった=2021年9月23日午前5時50分、浜松市東区半田町の六所神社
 静岡県浜松市の郷土史家が長年思ってきた地元の神社にまつわる疑問を解明した。今年の秋分の日の23日早朝、近所の人に集まって見てもらったら、歓声が上がった。この郷土史家は「地域の歴史に興味を持つきっかけになればうれしい」と話している。

 23日の夜明け前、同市東区半田町。小高い場所にある六所神社。ここに回覧板を見た人たち50人以上が集まった。

 秋分の日は、太陽が真東から昇って真西に沈む。鳥居の真ん中を太陽が昇っていけば、神社が朝日を意識して造られたことになる。それを確認してもらおうというねらいだ。

 呼びかけたのは、浜松日体中・高校の事務職員で、地域の歴史を調べている小杉順哉さん(42)。神社の鳥居には「朝日宮」の文字があり、「どこに朝日と関係があるんだろう」と思い続けた。

 一般的に神社は南向きが多いが、同神社は真東を向いている。「もしや」。2018年、真東から太陽が昇る春分の日と秋分の日に日の出を確認しに同神社に向かった。予想は的中。顔を出した太陽は鳥居の真ん中を通った。

 さらに、日の出の瞬間、太陽光は拝殿の格子を通り、奥にある本殿まで届くことにも気づいた。太陽光がある場所を指し示すシーンがある冒険映画「インディ・ジョーンズ」がこの発見のヒントになったという。「朝のさわやかな日光を神様に届けようと設計されている」と小杉さんは考えている。

 23日の見学会では、午前5時40分ごろに太陽が見え始めると小さな歓声が上がった。母親と見学に来た小学5年生の男児(11)は「神秘的だった」と満足そう。小杉さんは「普段は閑散とした神社に大勢の人が集まってびっくり。地域の歴史に興味を持つきっかけになればうれしい」。神社がパワースポットとなり、地域に元気をもたらしてくれることも願っている。(須田世紀)


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