金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

金生遺跡の三足鬲

引用ーーー 「陝西龍山文化」(紀元前2300年頃~前2000年頃)
竪穴式の家に住み、穿穴のある長方形の石刀などを使用し、陶器を作った。
土器の多くは泥質の灰陶で、籃紋・縄紋が見られ、三足器の鬲・?もある。ーーー引用終わり
ここでは、土器の多くは籃紋の灰陶で、三足器が発達します。花園村からは、文字・符号の刻された骨片が出土しました。と云われている。

この三足土器の 3 は、縄紋土器の 3突起口縁土器が始原では無いかと考えるものです。
縄文人の縄紋土器の方が先行していますから、堀之内式土器に始まる神秘数 3 に始まるものではないでしょうか。


もちろん金生遺跡でも三足鬲の破片のようなものが遺物として出土しています。
金生遺跡が天文台として、立春点を観測するのは、太陽暦と太陰暦の同期を神秘数3 が支配することから始まるものです。

写真はお借りしました

引用ーーーーーー

①-?「陝西龍山文化」(紀元前2300年頃~前2000年頃)

「陝西龍山文化」は、黄河の支流・渭水沿いで函谷関の位置、「陝」の西側(関中平原・渭水盆地・渭河平原)に分布した文化で、幾つかの遺跡がある。陝西省西安市客省庄の西安客省庄遺跡は、最下層が「仰韶文化」で、上層が「陝西龍山文化」となる。

この遺跡の他、陝西省黄河の支流渭河・涇河流域に斗門鎮遺跡・米家崖遺跡・長楽坡遺跡・趙家湾遺跡・岐山双庵遺跡・興平張耳村遺跡・武功趙家来遺跡などが分布し、「客省庄文化」とも呼ばれる。

竪穴式の家に住み、穿穴のある長方形の石刀などを使用し、陶器を作った。土器の多くは泥質の灰陶で、籃紋・縄紋が見られ、三足器の鬲・?もある。花園村からは、文字・符号の刻された骨片、羊の肩胛骨の占卜も出土し、占いや巫術など宗教も出現していたとみられている。     


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