金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

両面調整尖頭器の開発は新石器時代の始まり

両面調整尖頭器の開発は新石器時代の始まりと成るのでは無いか

旧石器時代からの日本列島の歴史

 

図 デニソワ人の道具
1.デニソワ人は野尻湖まで来て旧石器を遺していた

 


2.クロマニヨン人は石刃技術を持って東の端まで来ていた

 


日本列島の北と南から入ってきた

 

                図 両面調整尖頭器
その後信濃川流域の北と南で大きく分かれて発展した

 

             図 三内丸山の有茎石鏃


・北ではサケの遡上回帰漁が中心となり、両面調整尖頭器が開発された
石刃やナイフ型尖頭器ではサケ漁に対して、不都合があり、繰り返し使用に耐える
バランスの取れた両面調整尖頭器が開発され、それは有茎尖頭器まで進化した

 

           図 石鏃
・信濃川より南では小型動物が狩猟の対象となり弓矢の開発が主となった
弓の弦の開発は早くに出来たが、矢の先に付ける鏃の開発には時間を要した
石刃から細石器に変り、初めは細石器を鏃として使用したが不都合が多かった
それを解消するため石鏃が開発された、それには両面調整技術が利用されていたはずである

 

図 神子柴の石器

 

図 諏訪湖湖底曽根遺跡の石鏃
・両面調整技術は使用者が加工することから、専門の加工職人が作ることへと、大きく変わっていたのでは無いか。加工作業への手の掛かり方は、石刃作りとは大きく異なり、加工には大変な時間が掛かったものと考える
狩猟の道具は作業者が作ることから、専門の加工技術を持つ人が分かれて、専門に作るように変わったものでは無いか

 


3.世界の中での両面調整石器
日本列島で両面調整石器が作られたころ、世界的にはまだ石刃技法の時期だった
メソポタミア地域でも10,000年前頃までは石刃技法の延長上の技術がまだ使われていて、
日本列島の技術レベルとは10,000年の差があったものと考える。

 

 


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