金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

メトン周期と縄文時代

金生遺跡では立春観測が行われていた。
3 突起の土器の存在から
月の暦との関係が観測されていたものと推察する。
それはギリシャを遡る2000年ほどになるもので、メトン周期を見つけていたギリシャよりも優るものと思う。

 

 

文字が無いと思われることから、精度の高い計算は縄文時代には出来なかったものと思うが、それでも直接観測していれば、ギリシャ以上の精度で毎年の暦は維持できたものと考える。
縄文時代の方が太陽の直接観測と合わせて正確な暦が長期に亘り確保されていたと考える。

図はお借りしました

引用ーーーーーーーーーーーーーー

●これぞ基本
 メトン周期はギリシア時代に「19太陽年は235朔望月(新月から次の新月まで)にほぼ等しい」と メトンさんが発見しましたのですね。上記の235/19を使ったのですね。

(1)19太陽年 365.242194*19年 =6939.601686日
(2)235朔望月 29.530589*235月=6939.688415日
 これは約6940日で周期が同じになるわけです。上記小数でも約2時間の差ですね。

 太陽暦に言い直しますと 例えば今日2/25日が満月とすると、19年後の2/25日も満月となります。 喜寿の誕生日に月を見ると、生まれた時と同じ月が見えるというのは、 このメトン周期のことです。19年*4回=76年・・・大体数えで77歳。ですね。 (数えでは生まれた時が1歳で正月に年をとりますでしょ) ただし端数が積もりまして4回ぐらいでずれてきます。

 それで陰暦では19年で閏を何日入れるか計算していた訳です。 これは陰暦の根幹となる周期なのですね。中国では全く別に発見されていて「章法」と言います。 大の月125回。小の月110回のパターンになります。

●カリポス周期
 1年を端数処理して365.25日とすれば19年で6939.75日。小数点が出るので4倍すればなくなります。 365.25日*19年*4倍=27759日と切りが良くなります。
 76年=940月=27759日となり、これをカリポス周期と言います。 メトン周期はBC432年に、カリポス周期はBC330年に導入されております。

 中国では大初暦や四分暦などの方法です。 。 

●ヒッパルコスの修正
 カリポス法に古代ギリシアのヒッパルコス(190-120BC)が修正を加えました。
先ほど1年を365.25日としましたが、ヒッパルコスはそれより短いことを発見しました。 回帰年は365.25日より1/300短いので、カリポス周期の更に4倍の304年で1日短くしました。

 304年=3760月=11035日となります。

●その他
 これより長いのがアレキサンドリア流で 7*76年=532年周期ですね。
このように後の時代になればなるほど、端数問題で合わなくなってきますし、 観測技術も上がり、また長年の観測資料が蓄積されますので、 中国や日本など太陰太陽暦を使いつづけた国々などは、 更なる改暦の必要が出てくるのですね。

古代バビロニア
●古代バビロニアの粘土板
 今までは平均値を使っておりましたけれど、平均値は出来るだけ多くの 正確な観測地があって出るものですね。
 古代ギリシアよりももっと古い古代バビロニアの粘土板には
11,3,9,28,25,15,47......とありました。

 前回計算しましたメトン周期12.36827.....を60進法に直しますと
 12+22/60+6/60^2+18/60^3+......

1年の長さを朔望月(1/30単位)で表すと
11,3,9,28,25,15,47......

 となりメトン周期は古代バビロニアでも使われていたようで、 19年7閏は、どうも「感」でやっていたようです。  いずれにしまても、19年の周期に気が付くまでは相当な年月がかかったと思います。


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