縣秀彦 | 自然科学研究機構 国立天文台 准教授/普及室長 様
突然のメールで失礼します。
今朝のラジオで暦についてのお話を拝聴いたしました。
実は当方最近暦の成立に関していろいろ調べておりました。というのは
山梨県北杜市にあります国指定史跡金生遺跡は縄文後期から晩期に掛けての長期に亘る遺跡です。
中心に配石遺構がありそこで、この遺跡では冬至の日の出の観測と、立春の日の出が茅が岳の峰から出ることで冬至からの45日、四立の一つ立春が観測されていたことが分りました、配石遺構からもそれが示されていることが読み取れます。
この太陽観測では暦作成の定点となりますので、八節の暦が作られたものと考えています。
山梨県の縄文中期の遺跡では春分を見ているところが有りますので、二至二分の暦を意識していたと考えます、その進化として後期の金生遺跡で八節の暦を作っていたという流れは有りうるものと考えています。
こうした事から見て金生遺跡は縄文時代の天文台 茅が岳と甲斐駒ヶ岳を太陽運行の観測施設とする と考えています。
遺跡は40年前に発見発掘され、遺跡発掘報告から、配石の先端部に最初住居が一つ設け
られ、その後長期間掛けてそれから西側に向けて配石が形成されていったようです。
こうした様子から見て、配石の中にある墓から発見された人骨は、太陽観測に絡む天文のシャーマンなどとも推定できるのでは無いかと考えます。
四立が考えられ八節の暦は西周の時代に作られたようなので、金生遺跡の立春観測はそれに先行すると考えます。
当方は日の出を観測してきただけで、暦にも詳しくなく、
こうした遺跡での太陽観測と暦について研究していただければ幸です。
よろしくお願いします。
遺跡の天文に関係する状況は、次のブログの中で見ていただければ、お分かりいただけ
ると思います。johmonkinseistar として検索していただければ出てきます。
2021.06.28