横浜 青葉 茗荷館 (よこはま あおば みょうがかん)

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小石川寺社巡り 浪士隊結成の地 処静院跡

2017-02-28 | 城・史跡・神社仏閣 (関東)
傳通院山門と処静院(しょじょういん)跡の石柱「不許葷酒入門内」
処静院跡は、この左方向。







『浄土宗処静院は伝通院の塔頭の一つであったが、明治に入り、現在の淑徳学園あたりに移り、その後廃寺となった。今は伝通院門前に「不許葷酒入門内」(くんしゅもんないにいるをゆるさず)の文字が刻まれた、処静院の石柱を残すのみである。
 文久3年(1863)2月4日、浪士隊の結成が、ここ処静院で行われた。浪士隊は幕末、京都守護職(会津藩主 松平容保)のもとで活躍した新選組の前進である。隊結成にあたり、中心となった人物は清河八郎で、幕臣の鵜殿長鋭(鳩翁)が目付、山岡鉄太郎(鉄舟)が取締の職に就いた。
 鉄舟と懇意であった処静院の住職琳瑞は結成の趣旨に賛同し、結成の場所として本院を提供した。後に新選組幹部となる試衛館道場の近藤勇、土方歳三、沖田総司なども参加し、総勢約250名ほどで京都に上った。しかし、尊王攘夷をめぐって隊は分裂し、江戸にもどった清河八郎は、麻布一の橋で刺客の手で斃された。享年34歳であった。現在墓は伝通院にある。また、住職琳瑞も慶応3年(1867)小石川三百坂で刺殺された。享年38歳であった。 
 平成26年3月
 文京区教育委員会』



傳通院、続きです。


伝通院のホームページはこちらです。





交通案内
 東京メトロ丸ノ内線、南北線後楽園駅から徒歩約10分
 都営地下鉄三田線、大江戸線春日駅から徒歩約10分



スマートフォンのカメラでの撮影でした。


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