

東京国立新美術館 『ウイーン・モダン クリムト、シーレ世紀末の旅』
この展覧会は早稲田建築AO受験生には必見であり薦めます。理由は以下で述べます。
ヒットラー台頭時代の直前、第一次世界大戦が起こる前の、19世紀末のオーストリア・ハンガリー2重帝国の首都ウイーンデ花開いた世界の文化の中心だった、文化での英国アールヌーボーの影響と独自な様式の美術やインテリア、プロダクトデザイン、都市計画と美しい芸術的建築計画(天才的なルドルフ・ホン・アルト)の、美術館、博物館、市電や駅、コンサートホールなど、近代建築の始祖の図面と完成予想図ドローイングと極めて美しい、数々の建築模型がオーストリアまでいかずに、直に見る事ができる得がたい経験になるので必ず見る事を薦める理由です。
➡ ここからは受験と造形表現力におけるデッサンとは、直接于関係がありませんが、ヒットラーが画家を志望していたことは一般的にはあまり知られていません。国立美術大学の入学試験に何度も落ちた事(実技試験の中で絵画は才能が無いと判定されたが、建築では可と判定)や、彼が求めた第三帝国の都市計画建築も好きなギリシャローマ建築などの嗜好もまた、この時期のウイーン分離派などの影響も多分にあると感じます。この世界文化の中心には精神分析の父のフロイト(ユダヤ人)やユングなどを始め、音楽のシーエンベルグ、絵画では表現主義のオスカー・ココシュカやクリムトの弟子のような天才的な画家のエゴンシーレと、哲学のウイトゲンシュタインなどの、第一次世界大戦前夜のドイツ・ポーランド2重帝国から、世界的に大きな文化的な転換点を体感できる得がたい機会と感じます。この時代にヒットラーが国立芸大に合格していたら、もちろんナチスも出現していない…..
こういう状況で1909年のウイーンに生まれた、マネージメントを発見し構築した天才的な未来経済学者のドラッカーは、実際に「ヒットラーやゲッペルスに取材し、単なる座学や書籍からのペダンチストでなく、ナチスに対する批判論考を出版し発禁処分になり、ナチス突撃隊誕生で英国亡命から、彼は【経済人の終わり】を書いた。これはファシズムから自由を守るという明確な目的を持った「政治本」だがタイトルで結論は、ナチスはユダヤ人抹殺に踏み切り、ソ連と手を組むという未来想定論考だった。これはファシズムと共産主義は水と油で、世界の誰でもがあり得ないと考えていたからだ。これが、ドラッカーをチャーチルが激賞した。そのすぐあとナチスドイツはソ連と不可侵条約を締結し第二次世界大戦が勃発。
ドラッカーの父はフロイトやシュペンター、著名な経済学者ハイエクやトーマス・マンなどと頻繁に交友がり家庭に招いた。ドラッカーはフロイトと4歳で握手した記憶を持つ。こういう19世紀末の時代を正しく活写しているのは、マネージメントの父である「ドラッカー自伝」である。むろん経済学だけでなく、日本の経済界に多大な影響を与えた。また、彼の天才性は日本画における構図や空間表現における論考は秀逸であるし、全ての美術やデザインを専門、あるいは専攻する者にとって日本人ではもはや見えない多大な発見レスポンスがあると確信しています。
日本・オーストリア外交樹立150周年記念
ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道
ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道
展覧会ホームページ:https://artexhibition.jp/wienmodern2019/