▶わたしがはじめて1977年パリのポンピドーセンター前の中庭で、27歳の時にクセナキスのポリトープを初めて実際に見た時は、腰を抜かすほどの驚きでした。下記は自分の体験を客体化したはじめての告白になります。
➡A:初めて見た時に息を飲んだか?(腰を抜かすほど驚いた)見たこともないものだった。定位感が不在した世界観(3次元+音楽+連続した視覚的現実)だった。
- 1. 見たこともない放物線の形状のテントの中だった。➡照明がないと室内が真っ暗だった。(身体感覚がない。外界との遮断)。潜在意識への直接の刷り込み感➡神経印象感覚(ダイヤグラムへの侵入感覚と刷り込み)/最初のはるか奥の火花(放物線状に内接した格子状の交点の、人工的火花)
- BGMの背景音楽(クセナキスの作曲)との光の閃光(人工的電気のショート点が火花を発火)とのリンク(同期)。
➡B. 自分が考えついたら良かったと思えるか? それは2次元でも3次元でもないが、まさしく見たこともない独自の世界ではじめてのクセナキスと言う天才のアートだった。
➡ C. それは独創的か?
➡ D. 会社であればそれが戦略やビジョン、信念、ブランドイメージ、ポジショニングに完璧に合っているか?
であるとわたしには思えてなりませんが、あなたはどう思いますか?
※クセナキスは建築家で、数学者で亡命者であり、現代音楽の作曲家で唯一人ジョン・ケージの影響を受けていない孤高の総合芸術家だ。コルビジェの弟子で、モヂューロの理論構築とコアコンセプトはクセナキスがデザインしたことは、専門家は知っている。彼が建築を離れパリ音楽院でメシアンに師事、作曲音楽に数学と建築的作
曲という未知の隣接芸術へ踏み込んだのも、偶然ではないだろう。
➡ 彼の作曲は五線譜による伝統的作曲法ではなく、なんとそこに数式が描かれている独自の概念であり、全く独創的な創造的想像力であり独創的クリエイテイビテイの世界だ。それはメシアンがクセナキスに『なぜあなたは伝統的な音楽の作曲法を学ぼうとするのか?なぜ、今までの数学という世界を音楽で表現しないのか?』という
アドバイスから、目覚めたと言える。世界で初めて音楽という表現の中で、無限の空間で始まる壮大な宇宙の旅、テーマで原初的な起源から始まる交響曲的なイメージと、それにリンクする天井の配線がショートして落ちる火花が光る“点”が左右に
数が増えてゆく様が更に、左右空間、斜め、そしてそこに直線というレーザーが発信される、その➡“線”が左右斜め空間の奥深いところから、鑑賞者へと無数のパルスが空間でも交差し音楽と連動している、そして音楽と火花の点とまばゆい無数の直
線レーザー光線は音楽が戻るにつれ、また再び空間造型構成が時系列で減算してゆくことで、また再び宇宙の彼方へ戻る一つの光る星のような点が真黒の宇宙空間と静寂に戻るときに、美しい普遍のクセナキスが持つ原初の美へと神話のような恒久な厳かなギリシャ人であるからの魂の風景のように感じた。
まるで宇宙が生きて呼吸して言葉を伝えているような、強大なエネルギーを視覚的な体験と体感してそのマテリアルが、触覚的にも突き刺さる不思議な体感感覚を感じる。
それは生まれて始めて出会う不思議なイメージの中の旅で驚愕の稀有な芸術経験だった。
ブリュッセル万博のフィリップス館の放物線のテントはクセナキスの作品だが、コルビジェのリヨンのラ・トゥーレット修道院、建築の歴史では得意な才能を持ち天才だった。日本万国博覧会では、『ヒビキ・ハナ・マ』(響き、花、間)(1969年)という日本語の題を持つ多チャンネル360度の再生装置を伴う電子音楽を発表した。
高橋 順一