美術とデザインの視覚的な表現世界には、“こころときめくワクワクする、あなたの心に瞬時に伝わる”まるでこの世のものでない不思議な世界があります。
“美術・デザインの力について”
音楽や文学と同様に、さまざまな視覚芸術分野におけるアーテイストがそれぞれの魂の中にある、その想い=イメージをそれぞれの芸術における方法で独自表現したものです。視覚芸術はその芸術家の精神性(うちなる想いのすべて)を眼に見える形で表現した世界に他なりません、それは顕在意識ではなくどちらかと言うと、潜在意識下の極めて抽象的な人間が持つ普遍性である、存在意義や感情、あるいは概念、観念などのイメージをかたちにしたものとも言えます。
だから異なる言語や文化などという壁もなく飜訳も必要ありません。それは音楽などの芸術表現と同様の心に瞬間に直接届く視覚言語と同じとも言えます。音楽がより直接的ですが、美術は最初にそこに向かう意識が必要です。眼の前に大きな森があるとすると
音楽は入らなくても、その中がどういう世界か暴力的にでも直接包み込む力がありますが、美術における絵画や彫刻、あるいは現代美術にはその眼の前の対象を知ろうとする
心構えや意識がないとその世界を識る、あるいは本当の意味で体感することができません。
その眼の前の森の世界を知る/識りたいというという好奇心がなければなりません。
そういう意味では、文字という表現手段を手段とする、ある意味では“時間芸術”である映画と同様に文学という芸術もまた“時間芸術”とも言えます。最後まで読まないと全体
の作家が表現したい世界が分からないからです。この言葉という世界を適当に飛ばしてつまみ食いができませんね… 速読ではその作家の奥深い世界観が分からない世界観とも言えます。作家の魂を理解するには、評論家など他人のフィルターでは真に理解で
きないからです。それは音楽のテイストや美術におけるフィール(感じや雰囲気)などやはりテイストになります。いくらまねをしても本家本元の“魂/スピリット”の世界は、技術的にコピーして再現できないからです。
だから、それを受け取る人が真っ白な心であれば、直接体験ができるからです。説明も理屈も能書きも何もかも要らないのです。
潜在意識の世界観は非個人的であり普通は非選択的です、ある意味では女性的でもあります。意識としてとらえることができない世界です。
視覚表現にたずさわる芸術家は、それぞれ自分のその魂の内なる言葉と雰囲気や味わい(テイスト)、また独自の感情を内に持っています。それがその作家独自の精神的世界観に昇華したものが、長い年月をかけて構築したものが、その作家独自の“スタイル(様式)”であり統合されたすべてであると言えます。それは絵画、彫刻、映画、建築、デザインなどはそれらを表すメデイアです。
それがあるときには悲しみの底で苦しんでいる人に、そっと寄り添い包み込んで悲しみを癒し、あたらしい明日への希望へと再生してくれます。そういう多くの人の心の願いや祈りが集まり、長い年月の中で教会や神社そして寺という宗教になり、人々の魂を癒す建築空間やその世界観を表す絵画や彫刻が普遍的なものとして、伝承され継承されて来たと言えます。
また、人は精神的にも物質的にもひとりでは生きていけない、限られた寿命がある生命です。あなたは限りある命である、“ただ一度の人生を大いなる宇宙の叡智から選ばれてこの世に誕生した”のです。だから、自分が“この世での使命を見出し” そして自覚し自分の“強みや価値観“を自覚し表現することで、自分が選んだ人の役に立つ仕事を通じて他の人を助けることすることは、
自由で心豊かな本当の自分を表現する一生で一枚の大きなキャンバスである”人生という知識を知恵にする、ただ一度の時間芸術”に自分の歩みを残すことが、とても良い人生であると昔から観じて歩んで来ました。
自分の人生を自由に、世界に一つしかない“自分独自のシナリオでプロヂュ—スしデザインする”ことが、幸せな時間芸術であると私は考えています。
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