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From: "Junko FOX"
To: lin; tada
Cc: "Junko FOX"
Sent: Monday, September 02, 2002 4:06 PM
Subject: 週刊新潮「水野賢一手記」
林建良様 多田恵様
こんにちは。香港のフォックス淳子です。先月は、東京の世台会に無理を言って参加させていただき、有難うございました。許可を下さった同郷会の方にも改めて御礼を言いたい所ですが、私のような部外者を入れた事でもし林さんに叱られたらどうしよう、と思うと、連絡できない(笑)
ところで、先週木曜日発売の『週刊新潮』9月5日号に掲載された水野・前外務政務官の記事、お二人は既にお読みになったのではないかと思いますが、本日、日本から母が送ってくれた同誌が届きましたので、取り急ぎ全文タイプしてみました。海外在住などで現物を読めない方にお見せするなど、もし使えるようでしたら使って下さい。
外務省と言えば、多田さんの所とはまた別のMLに、先日世台会参加記の話を書いた所、以前から入っている某外務官僚の方が「“台湾の声”に入りました」と個人メールで教えて下さいました。ご自分で「偽チャイナスクールです」と仰る面白い方です。「他にお勧めありますか」と聞かれたので、多田さんのMLを推薦しておきました(^^)
では長いですが、以下に水野賢一議員の記事を付記します。
フォックス淳子
Junko FOX
1/F 1 Nga Kau Wan,
Yung Shue Wan,
Lamma Island,
HONG KONG
jj251096@hknet.com
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2675/
---
週刊新潮 2002年9月5日号
【緊急手記】川口外相では絶対できない「外務省改革」
前外務政務官 水野賢一
日中国交正常化30周年にあたる9月には、記念行事が目白押しになっている。むろんその演出を後押ししているのが、日頃、中国の顔色を窺うことに熱心な我が外務省。だが、あえてこの次期に台湾訪問の意向を表明した外務政務官の水野賢一氏(36)が、外務官僚の抵抗に遭い、辞表を提出した。折しも川口外相は省内改革プランを発表したばかりだが、こんなことでは改革など絶対にできない。
* * *
昨日(8月25日)、成田空港のVIP専用待合室で、川口外相に正式に辞表を手渡しました。予定通りだったこともあって、何事もなく淡々と終わりました。川口さんも“確かに受け取りました”と言うだけで、他にこれといった言葉をお互いに交わしたわけではありませんでした。
* * *
自民党の水野賢一代議士は、早大卒後、米国上院議員事務所勤務を経て、平成11年から衆議院議員を務めている。養父の水野清元総務庁長官の後を継ぎ、現在、2期目に当たるが、今年1月から外務政務官を務めていた。在任期間8カ月。まず辞任までの顛末について。
* * *
私が最初に台湾訪問の意思を川口外相に伝えたのは、国会会期末の7月末のことでした。外務委員会が終わった後の衆院内の控室で、私は率直に“外務政務官として今国会が終わった後、台湾を訪問したい。今年は、我が国と台湾との関係においてとても重要な年だと思うのです”と切り出しました。もちろん、その時には、後にバタバタと辞表を提出するような事態になるなんて思ってもいませんでした。
今年は日中国交正常化30周年に当たります。それは即ち、日台国交断絶30年ということでもあるのです。しかし、台湾が、実質、我が国とは経済的にも精神的にも重要な隣人であることに疑問を挟む余地はありません。そこで川口さんに“中国は30周年ということで大きなセレモニーが予定され、大臣も9月に訪中の予定を組んでおられる。しかし我が国の外交が中国ばかりに向けられているのは、いかにも不均衡ではありませんか。ですから是非私が台湾に行くことを大臣として認めてほしい”と伝えたわけです。しかし、川口さんの反応は、黙って私の言い分を聞いた後“とにかく、聞き置きます”と言うに止まり、イエスともノーとも言わなかったのです。そのまま川口さんはASEAN訪問に出発し、結論は帰国するまで棚上げという状態になったのです。
* * *
だが、川口外相が水野氏の提案に口を濁しただけでなく、外務省幹部も一様に逃げ腰だった。
* * *
私は川口さんがASEAN歴訪中も、省内のアジア大洋州局長をはじめ幹部連中に思いを伝えました。しかし皆が皆、困惑し、驚いた表情で、“政務官、そういうことをすると大変なことになる”と判で押したように言うのです。それで私が、“大変なことというのは、私が台北に着いた途端に中国からミサイルでも飛んでくるのか。あるいは、中国が我が国に想像を超えた経済制裁を加えるとでもいうのか。そういう具体的なことを言ってもらわないと、私はあなた達が言っていることには承服できない”と言っても、“ですから大変なことになるわけでして……”と、誰もが共通の台本でもあるかのように繰り返すだけです。
要は、中国に対して、必要以上にセンシティブになっているわけですよ。中国の顔色だけが大事といった有様です。一言で言って、彼らは思考停止に陥っているわけですね。これでは最初から建設的な話などできない。これが、これから大胆な改革をしようという外務省の実態なんです。
■内規を楯に訪台阻止
水野氏の意志が固いとみるや、外務官僚はさっそく訪台阻止に動く。外務政務官は3名任命されており、それぞれ担当地域を分けている。水野氏の担当には、中国・台湾が含まれている。
* * *
それだけに自分が台湾に行くことが、まさに政務官在任中の使命であると思ったのです。しかし、川口さんの帰国後に、私の訪台を阻止する決裁書がすでに回されていたことを知りました。『省内の内規にもある通り、課長級以上の訪台は認められない』という内容です。外務省というのは、なんと偏狭な組織なのか。各幹部が順々に了承の印を押し、川口さんもその決裁書の内容をちゃんと了承しているのです。サシで話すと極めてもどかしいのに、こういう事務手続きは実に手回しがよい。官僚の体質というものは一朝一夕で変わるものではないので仕方がない。そこで私は川口さんに最後の申し入れを行ったのです。
* * *
8月8日と9日、水野氏は川口外相と会談を持った。
* * *
私は昨年12月に、自民党の若手議員として訪台しています。李登輝前総統や陳水扁総統ともお会いして、この先、台湾との外交関係は重要度を増すと考え、川口さんにも懇々と説明しました。川口さんは、まあ、熱心に聞いてくれているようにも見えました。しかし、結局、訪台は“不可”ということで、その理由についてもあまり仰らなかった。ダメなものはダメという感じです。
私は、例の決裁書のことを持ち出しながら省内改革についても話を進めました。“私の訪台の意志を一片の決裁書でダメにしてしまう。何故、このテーマを省内で議論しないのか”と。一事が万事、重要な外交案件を特定の幹部が決め、それが“日本の外交”として堂々とまかり通る。だから鈴木宗男のような悪質な議員に牛耳られ、あるいは、チャイナスクールとかロシアスクールとか、本来、ただの語学学習の場に過ぎないものが、肥大化して、歪んだ組織が出来上がってしまうのではないか。“それを反省したからこそ、今回の改革の骨子である『行動計画』を作ったのではないですか”と私は詰め寄ったんです。
川口さんはじっと聞いていました。外務省には、幹部が議論を戦わせる場として“省議”というものが、それこそ内規で決められています。毎月1回第1月曜日に、大臣以下、事務次官、局長など幹部が出席して開かれることになっている。まさに省内の最高意思決定機関であるはずです。私は、川口さんに、訪台問題を省議にかけてもう一度議論してほしいと言ったのです。一部の幹部が密室で握り潰すのではなく、議論した上で、不可というのなら私も納得できます。
一片の決裁書で葬り去るのではなく、議論をすれば、開かれた組織に切り換えるいい機会になる。それこそ改革の第一歩になったのではないでしょうか。因みに、この省議なるもの、今年6月から8月までに1回も開かれていないのです。しかし、川口さんは四の五の言わず、ただ“(省議は)開きません”と答えるだけでした。残念であると同時に、こういうことで川口さんは、本気で省の改革を行うことができるのか、とも思いました。
■屋上屋の『行動計画』
私はただ訪台が断られたことだけで辞任したわけではありません。背景に、外務省改革の問題があったからなのです。この2日間にわたる会談で、私は川口さんに“職を賭してお話ししている”と伝えました。それでも川口さんは、“ノー”の答えを出したのです。最後に私は、“では、政務官を辞めざるを得ないようですね”と言ったところ、川口さんは“(改革を)最後まで一緒にやりたかったですね”と述べただけでした。私はそこで席を立ちました。
* * *
8月21日、川口外相は外務省改革の『行動計画』を発表した。外相を本部長とする政務本部の設置、キャリアの自動的な昇進の廃止、外部からの大臣起用、改革推進本部の設置などが骨子だが、水野氏は疑問を呈する。
* * *
私の訪台への意志は、外務省改革のひとつの試金石であったでしょう。しかし、その答えは、“改革など到底無理じゃないか”という残念な結果を生み出したと思います。
省議ひとつ開かない、あるいは開けないのかもしれませんが、これはこの先も続く。川口さんの態度で、それは明白になりました。例えば『行動計画』の中には、政務本部を創設し、そこで定例の会議を行うという。特定の政治家の不当な介入があったときには、その場で報告しながら対処していくというものですが、やれやれ、といったところです。省議は開かないが、意味ありげな会議は設置する。まるで屋上屋を架すようなものではありませんか。
さらに省内の筆頭局でもなる総合外交政策局をもっと強化するという文言が見られます。この局は、湾岸戦争の際に縦割りの外交しかできなかった反省から作られたものですが、しかし、私の訪台問題ひとつをとっても、結局、ほぼアジア局だけの内々の取り決めだけで不可となってしまった。中国への異常な配慮が生んだ歪んだ結果ですが、そもそも他の局には口を出させないぞ、という伏線もあったのです。総合外交政策局の機能強化は、いわゆるチャイナスクールやロシアスクールなどという異常な組織になってしまった弊害排除にあることはいうまでもありませんが、私の今回の経験からいえば、いくら総合外交政策局の機能を強化しても、一部のエキスパートと呼ばれる精通者が牛耳る外交が続くとしか思えない。
なにしろ、彼らは過去に作られた内規だけを楯に“俺たち精通者に逆らうような真似はさせない”とやるわけです。しかし、そもそも『課長級以上の訪台はまかりならない』という内規は、昭和50年代に取り決められたふるいものなのです。ところが、実際にはこれまで課長だけでなく、部長級だって特例をもって訪台しているんですよ。1月には、別の省ですが経済産業省の副大臣の古屋先生だって訪台しているのです。内規なんて、結局、都合のいい時に引っ張りだす道具にすぎないんです。
■外務官僚に押し切られた
それでも、この改革の真っ只中の時期に、この古い内規を引っ張りだして議論もしないのです。川口さんは、それをただただ是認しているということです。これで本当に改革などできるのでしょうか。
政務官の仕事というのは、ある意味、しがらみに囚われず旧来の官僚機構に問題を提起することではないか。しかしその意気込みは、今回の象徴的な事件でまさしく潰されました。繰り返しになりますが、これは、これまでに例を見ない外務省改革が行われている最中に行われたものなのです。しかし、川口さんは外務官僚に押し切られた。
私が政務官に就任したときには、田中真紀子さんが外相でした。最初は“こりゃ、大変なところに来たな”と思いましたが、川口さんに代わって私はおおいに期待していたのです。“改革の脈が出てきたぞ……”、川口さんだったら改革ができるはずだぞ、そう思ってきました。
しかし、なかなかそういうことにはならなかった。鈴木宗男に関する省内のファイルだって、1冊数百ページにわたるようなものが、100冊以上もあったのに、それを生かし切れなかったのです。その時には、オヤ、と思っていました。そして、私がこの1カ月に経験したことで、このオヤ、は確信に変わっていきました。川口体制で本当に改革などできるのか、そういう疑問が沸々と湧いてきたのです。川口さんは、私との会談で、結論は仰いましたが、そこに至るまでの経緯についてはついにお話しにならなかった。特に省議の提言には、何の理屈も述べず、“開けない”と言うだけです。今でもその理由は私にはわかりません。ことごとく意見を封殺するだけなのですから、このことが、外務省改革などできないことを象徴しているのではないでしょうか。
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Sent: Monday, September 02, 2002 4:06 PM
Subject: 週刊新潮「水野賢一手記」
林建良様 多田恵様
こんにちは。香港のフォックス淳子です。先月は、東京の世台会に無理を言って参加させていただき、有難うございました。許可を下さった同郷会の方にも改めて御礼を言いたい所ですが、私のような部外者を入れた事でもし林さんに叱られたらどうしよう、と思うと、連絡できない(笑)
ところで、先週木曜日発売の『週刊新潮』9月5日号に掲載された水野・前外務政務官の記事、お二人は既にお読みになったのではないかと思いますが、本日、日本から母が送ってくれた同誌が届きましたので、取り急ぎ全文タイプしてみました。海外在住などで現物を読めない方にお見せするなど、もし使えるようでしたら使って下さい。
外務省と言えば、多田さんの所とはまた別のMLに、先日世台会参加記の話を書いた所、以前から入っている某外務官僚の方が「“台湾の声”に入りました」と個人メールで教えて下さいました。ご自分で「偽チャイナスクールです」と仰る面白い方です。「他にお勧めありますか」と聞かれたので、多田さんのMLを推薦しておきました(^^)
では長いですが、以下に水野賢一議員の記事を付記します。
フォックス淳子
Junko FOX
1/F 1 Nga Kau Wan,
Yung Shue Wan,
Lamma Island,
HONG KONG
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週刊新潮 2002年9月5日号
【緊急手記】川口外相では絶対できない「外務省改革」
前外務政務官 水野賢一
日中国交正常化30周年にあたる9月には、記念行事が目白押しになっている。むろんその演出を後押ししているのが、日頃、中国の顔色を窺うことに熱心な我が外務省。だが、あえてこの次期に台湾訪問の意向を表明した外務政務官の水野賢一氏(36)が、外務官僚の抵抗に遭い、辞表を提出した。折しも川口外相は省内改革プランを発表したばかりだが、こんなことでは改革など絶対にできない。
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昨日(8月25日)、成田空港のVIP専用待合室で、川口外相に正式に辞表を手渡しました。予定通りだったこともあって、何事もなく淡々と終わりました。川口さんも“確かに受け取りました”と言うだけで、他にこれといった言葉をお互いに交わしたわけではありませんでした。
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自民党の水野賢一代議士は、早大卒後、米国上院議員事務所勤務を経て、平成11年から衆議院議員を務めている。養父の水野清元総務庁長官の後を継ぎ、現在、2期目に当たるが、今年1月から外務政務官を務めていた。在任期間8カ月。まず辞任までの顛末について。
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私が最初に台湾訪問の意思を川口外相に伝えたのは、国会会期末の7月末のことでした。外務委員会が終わった後の衆院内の控室で、私は率直に“外務政務官として今国会が終わった後、台湾を訪問したい。今年は、我が国と台湾との関係においてとても重要な年だと思うのです”と切り出しました。もちろん、その時には、後にバタバタと辞表を提出するような事態になるなんて思ってもいませんでした。
今年は日中国交正常化30周年に当たります。それは即ち、日台国交断絶30年ということでもあるのです。しかし、台湾が、実質、我が国とは経済的にも精神的にも重要な隣人であることに疑問を挟む余地はありません。そこで川口さんに“中国は30周年ということで大きなセレモニーが予定され、大臣も9月に訪中の予定を組んでおられる。しかし我が国の外交が中国ばかりに向けられているのは、いかにも不均衡ではありませんか。ですから是非私が台湾に行くことを大臣として認めてほしい”と伝えたわけです。しかし、川口さんの反応は、黙って私の言い分を聞いた後“とにかく、聞き置きます”と言うに止まり、イエスともノーとも言わなかったのです。そのまま川口さんはASEAN訪問に出発し、結論は帰国するまで棚上げという状態になったのです。
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だが、川口外相が水野氏の提案に口を濁しただけでなく、外務省幹部も一様に逃げ腰だった。
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私は川口さんがASEAN歴訪中も、省内のアジア大洋州局長をはじめ幹部連中に思いを伝えました。しかし皆が皆、困惑し、驚いた表情で、“政務官、そういうことをすると大変なことになる”と判で押したように言うのです。それで私が、“大変なことというのは、私が台北に着いた途端に中国からミサイルでも飛んでくるのか。あるいは、中国が我が国に想像を超えた経済制裁を加えるとでもいうのか。そういう具体的なことを言ってもらわないと、私はあなた達が言っていることには承服できない”と言っても、“ですから大変なことになるわけでして……”と、誰もが共通の台本でもあるかのように繰り返すだけです。
要は、中国に対して、必要以上にセンシティブになっているわけですよ。中国の顔色だけが大事といった有様です。一言で言って、彼らは思考停止に陥っているわけですね。これでは最初から建設的な話などできない。これが、これから大胆な改革をしようという外務省の実態なんです。
■内規を楯に訪台阻止
水野氏の意志が固いとみるや、外務官僚はさっそく訪台阻止に動く。外務政務官は3名任命されており、それぞれ担当地域を分けている。水野氏の担当には、中国・台湾が含まれている。
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それだけに自分が台湾に行くことが、まさに政務官在任中の使命であると思ったのです。しかし、川口さんの帰国後に、私の訪台を阻止する決裁書がすでに回されていたことを知りました。『省内の内規にもある通り、課長級以上の訪台は認められない』という内容です。外務省というのは、なんと偏狭な組織なのか。各幹部が順々に了承の印を押し、川口さんもその決裁書の内容をちゃんと了承しているのです。サシで話すと極めてもどかしいのに、こういう事務手続きは実に手回しがよい。官僚の体質というものは一朝一夕で変わるものではないので仕方がない。そこで私は川口さんに最後の申し入れを行ったのです。
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8月8日と9日、水野氏は川口外相と会談を持った。
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私は昨年12月に、自民党の若手議員として訪台しています。李登輝前総統や陳水扁総統ともお会いして、この先、台湾との外交関係は重要度を増すと考え、川口さんにも懇々と説明しました。川口さんは、まあ、熱心に聞いてくれているようにも見えました。しかし、結局、訪台は“不可”ということで、その理由についてもあまり仰らなかった。ダメなものはダメという感じです。
私は、例の決裁書のことを持ち出しながら省内改革についても話を進めました。“私の訪台の意志を一片の決裁書でダメにしてしまう。何故、このテーマを省内で議論しないのか”と。一事が万事、重要な外交案件を特定の幹部が決め、それが“日本の外交”として堂々とまかり通る。だから鈴木宗男のような悪質な議員に牛耳られ、あるいは、チャイナスクールとかロシアスクールとか、本来、ただの語学学習の場に過ぎないものが、肥大化して、歪んだ組織が出来上がってしまうのではないか。“それを反省したからこそ、今回の改革の骨子である『行動計画』を作ったのではないですか”と私は詰め寄ったんです。
川口さんはじっと聞いていました。外務省には、幹部が議論を戦わせる場として“省議”というものが、それこそ内規で決められています。毎月1回第1月曜日に、大臣以下、事務次官、局長など幹部が出席して開かれることになっている。まさに省内の最高意思決定機関であるはずです。私は、川口さんに、訪台問題を省議にかけてもう一度議論してほしいと言ったのです。一部の幹部が密室で握り潰すのではなく、議論した上で、不可というのなら私も納得できます。
一片の決裁書で葬り去るのではなく、議論をすれば、開かれた組織に切り換えるいい機会になる。それこそ改革の第一歩になったのではないでしょうか。因みに、この省議なるもの、今年6月から8月までに1回も開かれていないのです。しかし、川口さんは四の五の言わず、ただ“(省議は)開きません”と答えるだけでした。残念であると同時に、こういうことで川口さんは、本気で省の改革を行うことができるのか、とも思いました。
■屋上屋の『行動計画』
私はただ訪台が断られたことだけで辞任したわけではありません。背景に、外務省改革の問題があったからなのです。この2日間にわたる会談で、私は川口さんに“職を賭してお話ししている”と伝えました。それでも川口さんは、“ノー”の答えを出したのです。最後に私は、“では、政務官を辞めざるを得ないようですね”と言ったところ、川口さんは“(改革を)最後まで一緒にやりたかったですね”と述べただけでした。私はそこで席を立ちました。
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8月21日、川口外相は外務省改革の『行動計画』を発表した。外相を本部長とする政務本部の設置、キャリアの自動的な昇進の廃止、外部からの大臣起用、改革推進本部の設置などが骨子だが、水野氏は疑問を呈する。
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私の訪台への意志は、外務省改革のひとつの試金石であったでしょう。しかし、その答えは、“改革など到底無理じゃないか”という残念な結果を生み出したと思います。
省議ひとつ開かない、あるいは開けないのかもしれませんが、これはこの先も続く。川口さんの態度で、それは明白になりました。例えば『行動計画』の中には、政務本部を創設し、そこで定例の会議を行うという。特定の政治家の不当な介入があったときには、その場で報告しながら対処していくというものですが、やれやれ、といったところです。省議は開かないが、意味ありげな会議は設置する。まるで屋上屋を架すようなものではありませんか。
さらに省内の筆頭局でもなる総合外交政策局をもっと強化するという文言が見られます。この局は、湾岸戦争の際に縦割りの外交しかできなかった反省から作られたものですが、しかし、私の訪台問題ひとつをとっても、結局、ほぼアジア局だけの内々の取り決めだけで不可となってしまった。中国への異常な配慮が生んだ歪んだ結果ですが、そもそも他の局には口を出させないぞ、という伏線もあったのです。総合外交政策局の機能強化は、いわゆるチャイナスクールやロシアスクールなどという異常な組織になってしまった弊害排除にあることはいうまでもありませんが、私の今回の経験からいえば、いくら総合外交政策局の機能を強化しても、一部のエキスパートと呼ばれる精通者が牛耳る外交が続くとしか思えない。
なにしろ、彼らは過去に作られた内規だけを楯に“俺たち精通者に逆らうような真似はさせない”とやるわけです。しかし、そもそも『課長級以上の訪台はまかりならない』という内規は、昭和50年代に取り決められたふるいものなのです。ところが、実際にはこれまで課長だけでなく、部長級だって特例をもって訪台しているんですよ。1月には、別の省ですが経済産業省の副大臣の古屋先生だって訪台しているのです。内規なんて、結局、都合のいい時に引っ張りだす道具にすぎないんです。
■外務官僚に押し切られた
それでも、この改革の真っ只中の時期に、この古い内規を引っ張りだして議論もしないのです。川口さんは、それをただただ是認しているということです。これで本当に改革などできるのでしょうか。
政務官の仕事というのは、ある意味、しがらみに囚われず旧来の官僚機構に問題を提起することではないか。しかしその意気込みは、今回の象徴的な事件でまさしく潰されました。繰り返しになりますが、これは、これまでに例を見ない外務省改革が行われている最中に行われたものなのです。しかし、川口さんは外務官僚に押し切られた。
私が政務官に就任したときには、田中真紀子さんが外相でした。最初は“こりゃ、大変なところに来たな”と思いましたが、川口さんに代わって私はおおいに期待していたのです。“改革の脈が出てきたぞ……”、川口さんだったら改革ができるはずだぞ、そう思ってきました。
しかし、なかなかそういうことにはならなかった。鈴木宗男に関する省内のファイルだって、1冊数百ページにわたるようなものが、100冊以上もあったのに、それを生かし切れなかったのです。その時には、オヤ、と思っていました。そして、私がこの1カ月に経験したことで、このオヤ、は確信に変わっていきました。川口体制で本当に改革などできるのか、そういう疑問が沸々と湧いてきたのです。川口さんは、私との会談で、結論は仰いましたが、そこに至るまでの経緯についてはついにお話しにならなかった。特に省議の提言には、何の理屈も述べず、“開けない”と言うだけです。今でもその理由は私にはわかりません。ことごとく意見を封殺するだけなのですから、このことが、外務省改革などできないことを象徴しているのではないでしょうか。
From: "Junko FOX"
To: "林 建 良"; "TADA"
Cc: "Junko FOX"
Sent: Monday, September 16, 2002 10:04 AM
Subject: Re: 週刊新潮「水野賢一手記」
林建良様 多田恵様
おはようございます。林さん、先日はわざわざお返事をありがとうございました。すっかり林さんファンになってしまったので、喜んでキャーキャー騒いでました(笑)
ところで、今朝の「台湾の声」拝見しました。水野氏の辞任は残念なことでしたが、23日から衆議員の身分で台湾を訪問する予定だそうです。既にお聞きになっているかも知れませんが、これ以外は記事を見かけなかったので、念の為お知らせします。
Junko FOX
jj251096@hknet.com
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2675/
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http://news.yam.com/cna/international/news/200209/200209111930355.html
水野前外務政務官預定二十三日訪台
中央社
2002-9-11 19:10
(中央社記者張芳明東京十一日專電)為抗議日本外務省不准他以外務政務官身分訪問台灣而於最近辭去這項兼任職務的自民黨衆議員水野賢一,預定二十三日前往中華民國訪問三天。
這位現年三十六歳的年輕日本國會議員的一名秘書今天對中央社記者指出,水野將和數位國會議員於二十三日搭機飛抵台北訪問三天,停留期間預定將拜會陳水扁總統和李登輝前總統,並會晤其他政要和財經界領袖進行懇談。他預定二十五日返國。
當選衆議員兩屆的水野為抗議外務省不准他以外務政務官身分訪台,而於八月二十五日辭去政務官,成為小泉純一郎政權成立一年半來第一位辭職的政務官。
這位選自千葉選區的衆議員指責日本政府的台海兩岸政策,強調日本應和同為東亞民主國家的台灣加強關係,讓兩國官員自由互訪。
他要求日本政府應對中共不放棄武力犯台的企圖以強有力的態度加以反對。他並指出,中共沒有理由對日本官員訪台表示意見,日本也沒有必要顧慮中共的反應。日本外務大臣之下設有兩名副大臣和三名政務官,由國會議員兼任,水野於一月就任負責亞洲、俄羅斯和大洋洲事務的政務官。他於去年十二月曾以自民黨青年局長身分率領自民黨年輕國會議員訪日,分別拜會過陳總統和李前總統。
From: "Junko FOX"
To: "TADA Kei"
Cc: "Junko FOX"
Sent: Monday, September 16, 2002 5:20 PM
Subject: Re: 週刊新潮「水野賢一手記」(別件)
あっどうも。有難うございます。T口氏の件ではまたもやご迷惑を...って、それは私のせいじゃないか(笑)
掲示板に書こうかどうか迷っているのですが(書くと誰か特定できるような表現になってしまうので)、多田さんは台湾人からの人望がすごくあると思いましたよ。お会いした同郷会の人だけですけど、多田さんの名前を出したら、「ああ多田さん」と、誰もがすぐに親切にして下さった。それがなければ到底、世台会への参加は出来なかったです。
> ***
実はですね。島から出て日系の本屋に行けば(売り切れでなければ)簡単に入手できる筈なのですが、それが!それが中々出来ないのです...しょぼーん。発売日の頃から延々「今日は出かける、明日こそは」と思ってるんですが、気が付くといつも遅い時間になってて断念。不精なせいもあるけど。
多田さんが現在お持ちじゃないようでしたら、全然かまわないでください。でも、もし持ってらしたら、その部分のコピーでも取っておいていただけませんか。林さんの記事というのもあるんですが、「一辺一国」については、東京までハルバル出かけた事もあり、個人的にも思い入れが深い事もあって。台湾茶で一人、SAPIOの記事を見て感想を書いてた人いましたが(ちょっと生意気な感じだったけど)、どんな事を書いたのかな。
帰国の辞令が出た産経の矢島さんも、最後のコラムで書いてましたね。引継ぎで1か月ぐらいは台湾にいるかと思ったんだけど、もう1週間ぐらい台湾関連記事は通信社配信の短信しか出てなくて、今日初めて後任者の記事が出てた。彼が台湾を去るのは、とても残念です。
From: "Junko FOX"
To: "TADA Kei"
Cc: "Junko FOX"
Sent: Monday, September 16, 2002 7:12 PM
Subject: Re: 週刊新潮「水野賢一手記」(別件)
再びすいません。コピーしてなんて、送ってくれって言ってるのと同じですよね(^^;) そうしていただけると、すごく嬉しいです。住所、ミョーにシンプルですが、これだけで本当に届きます。
いやいや。掲示板に投稿があると、毎回メールで届くのですが、さっき「ん? タイトルはのほほんだけど何かヤケに重くないか」と思ったら、案の定、T口氏だった...
Junko FOX
1/F 1 Nga Kau Wan,
Lamma Island
HONG KONG
From: "Junko FOX"
To: "TADA Kei"
Cc: "Junko FOX"
Sent: Thursday, September 26, 2002 1:08 PM
Subject: SAPIO
こんにちは。フォックスです。SAPIO受け取りました。わあわあ。わざわざ買いに行かせてしまったみたいですいません、コピー代コミで150円ぐらいで済むかなと思ってたんですが(ヘンな所が細かい)恐縮です。どうも有難うございました。
他にも水野氏など盛りだくさんですね。林さんの記事にも、知らなかった事が、いろいろ書いてありました。林さんの次に載っているウィリー・ラム(林和立)というのは、私が香港で報道に興味を持つきっかけとなった敬愛するジャーナリスト、チャイナウォッチャーです。
何か...えーと、思いつかないですが、何か香港にありそうなもので欲しいものがあったら、仰ってください。客家関係の本でも探してみようかな。言語関連の書籍は、かなり不毛なので、アテにならないですが香港...(^^;)