こんにちは。フォックス淳子@香港です。
最近、亡命するという噂があるらしい(笑)今日のクイズは:
・靖国参拝に抗議する中国政府は
「A級戦犯」笹川良一との親交を説明せよ
(クイズ?)
もっとも、都合のいいことを言って参拝を正当化する日本の政治家の詭弁も屑の極みですね。中国政府も、日本政府も、自分で自分に恥かしくないのかね?と思い幾年月。言うだけ無駄でしょうか。
中共も最近は、日本化・香港化・サラリーマン化してる。「安定」とは、即ち「保身」か。
---
【地球巷談】笹川陽平(9) 中国 故トウ小平氏
(産経 1997.03.02)
亡くなった中国のトウ小平さんにお会いしたのは、一九八五年の十月三十一日でした。当時、中国共産党の実権を掌握、元気はつらつとしていました。私は父、笹川良一に随伴していましたが、二人の出会いは大変にユニークなものでした。
中国の要人が北京の人民大会堂で外国の賓客と会見する場合、お客さんが入室するのを待つのが通例です。ところが、この日のトウ小平さんは仕切りのついたての外まで出てこられました。しかも出迎えるトウ小平さんに父がいきなり抱きつき、抱き上げてしまったのです。抱き上げられた小柄なトウ小平さんの両足は宙に浮いていました。そして、二人はほおずりをし、「指切りげんまん」をしたのです。
まわりはあっけにとられていましたが、これは父のお得意のパフォーマンスでした。けげん顔のトウ小平さんに、父が「日本では男同士の約束は握手じゃなく、指切りでする」と説明します。するとトウ小平さんは「ガハハ」と大笑い、それでもう百年の知己のように打ち解けてしまったのです。
非常に親しい雰囲気が生まれたからでしょう、公開の席ではあまり具体的な案伴を述べないトウ小平さんがストレートに切り出したのが、当時、中台間で政治問題となっていた京都の光華寮問題でした。もちろん、いまなお日中間の懸案である教科書問題にも言及しました。「笹川先生は政治にも経済にも大きな影響力をお持ちなので、ぜひよろしくお願いしたい」というわけです。
父の方も腹蔵なくもの申していました。「昔の恋人だった川島芳子の墓を探してくれ」とか、「江青が入院中とのことだが、お見舞いをしたい」というわけです。これにはさすがのトウ小平さんも返事に給していました。ご存知の通り、文化大革
命の時、トウ小平追い落としの首謀者が江青だったのですから。
ところで、中国の公式会談上は馬てい形に椅子を配置し、随伴者も加わっての会談がほとんどです。込み入った話をサシでする雰囲気ではありません。したがって、中国側のご意見を一方的に拝聴するというケースが多くなります。
笹川良一スタイルをまねよとは言いませんが、日本からの訪中の際、今少し率直に意見表明をした方が相手方の信頼を得るのではと思います。
トウ小平さんは会談中、終始笑顔で気持ちよさそうでした。最後に父が「中国人民と人類の発展のために・・・」と合掌すると、彼もこれに習い、同席した王震・中日友好協会名誉会長(当時。後に国家副主席)も手を合わせていました。
---
Junko FOX
最近、亡命するという噂があるらしい(笑)今日のクイズは:
・靖国参拝に抗議する中国政府は
「A級戦犯」笹川良一との親交を説明せよ
(クイズ?)
もっとも、都合のいいことを言って参拝を正当化する日本の政治家の詭弁も屑の極みですね。中国政府も、日本政府も、自分で自分に恥かしくないのかね?と思い幾年月。言うだけ無駄でしょうか。
中共も最近は、日本化・香港化・サラリーマン化してる。「安定」とは、即ち「保身」か。
---
【地球巷談】笹川陽平(9) 中国 故トウ小平氏
(産経 1997.03.02)
亡くなった中国のトウ小平さんにお会いしたのは、一九八五年の十月三十一日でした。当時、中国共産党の実権を掌握、元気はつらつとしていました。私は父、笹川良一に随伴していましたが、二人の出会いは大変にユニークなものでした。
中国の要人が北京の人民大会堂で外国の賓客と会見する場合、お客さんが入室するのを待つのが通例です。ところが、この日のトウ小平さんは仕切りのついたての外まで出てこられました。しかも出迎えるトウ小平さんに父がいきなり抱きつき、抱き上げてしまったのです。抱き上げられた小柄なトウ小平さんの両足は宙に浮いていました。そして、二人はほおずりをし、「指切りげんまん」をしたのです。
まわりはあっけにとられていましたが、これは父のお得意のパフォーマンスでした。けげん顔のトウ小平さんに、父が「日本では男同士の約束は握手じゃなく、指切りでする」と説明します。するとトウ小平さんは「ガハハ」と大笑い、それでもう百年の知己のように打ち解けてしまったのです。
非常に親しい雰囲気が生まれたからでしょう、公開の席ではあまり具体的な案伴を述べないトウ小平さんがストレートに切り出したのが、当時、中台間で政治問題となっていた京都の光華寮問題でした。もちろん、いまなお日中間の懸案である教科書問題にも言及しました。「笹川先生は政治にも経済にも大きな影響力をお持ちなので、ぜひよろしくお願いしたい」というわけです。
父の方も腹蔵なくもの申していました。「昔の恋人だった川島芳子の墓を探してくれ」とか、「江青が入院中とのことだが、お見舞いをしたい」というわけです。これにはさすがのトウ小平さんも返事に給していました。ご存知の通り、文化大革
命の時、トウ小平追い落としの首謀者が江青だったのですから。
ところで、中国の公式会談上は馬てい形に椅子を配置し、随伴者も加わっての会談がほとんどです。込み入った話をサシでする雰囲気ではありません。したがって、中国側のご意見を一方的に拝聴するというケースが多くなります。
笹川良一スタイルをまねよとは言いませんが、日本からの訪中の際、今少し率直に意見表明をした方が相手方の信頼を得るのではと思います。
トウ小平さんは会談中、終始笑顔で気持ちよさそうでした。最後に父が「中国人民と人類の発展のために・・・」と合掌すると、彼もこれに習い、同席した王震・中日友好協会名誉会長(当時。後に国家副主席)も手を合わせていました。
---
Junko FOX