都知事の訪台、違法性ない=総統就任式出席で住民敗訴-東京地裁
(時事通信 2002.08.29 16:04)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020829-00000671-jij-soci
...知らなかった、そんな訴訟やってたの。誰だよ訴えた「都民3人」て。ヒマだな~。文化革命時代に日本の記者で唯一中国滞在を許され、中国の提灯記事書いてた
:秋岡家榮(あきおか・いえしげ)
:一九二五年、京都府生まれ。朝日新聞の外報部記者として、イ
:ンド、ベトナム特派員を歴任。いわゆる文化大革命二年目の六
:七年十一月から、七二年九月の日中国交回復まで、北京支局長
:を務めた。現在、「人民日報海外版」日本発行代理人。
この人、東京都東村山在住だそうだが、カレじゃないだろうね(笑)
【秋岡さんて、コンナ人 参考サイト】
書名:朝日新聞血風録
http://www.hi-ho.ne.jp/gnp_hp/book/000/070_210_4163460209.htm
愚痴
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Knight/1757/f-np/011001-15.html
世雄会会報 日中国交回復の舞台裏
http://www.fuji-seou.org/seou0801_3.htm
及び、ナゼかいつのまにか創価学会公式ホームページから削除されてしまった記事より抜粋。
---
周総理と池田会長の信頼の絆
朝日新聞元北京支局長が語る
(創価学会公式ホームページ)
http://www.sokagakkai.or.jp/html6/sgnews/1999-07/12-13.html
一九七四年の五月二十九日、池田名誉会長が、初の中国訪問へ出発してから、二十五周年を迎えた。
二十五周年の節目に際し、朝日新聞・元北京支局長の秋岡家榮氏から、名誉会長の提言が「国交正常化の基礎になった」等の所感が寄せられた。
「人民日報海外版」
日本発行代理人
秋岡家榮氏
中国は、ずいぶん前から創価学会のことを研究していたようでした。周恩来総理や中国首脳は、訪中した日本人に、何度も、学会の情報を求めていたようです。松村謙三さん、高碕達之助さんが学会のこと、池田会長のことを、周総理に進言していたことは、中日友好協会の黄世明副会長も記しています。
ではなぜ、周総理が創価学会に注目したのか――。
総理は常に“大衆”に関心を置く人でした。学会がその点“大衆を基盤にした”大きな力を持っていることに留意したのではないでしょうか。
一九六八年、私は、特派員として北京におりました。池田会長の“日中国交正常化提言”を、朝日新聞紙上で知ったと記憶します。この提言は大変なものでした。第一に、内容が非常に正確です。この提言で示された方向の通りに、その後の日中関係は動いたと言えるでしょう。その先見性には、目を見張るものがあります。
池田会長の提言が、日中国交正常化の“基礎”になったと思います。と同時に、当時の厳しい社会情勢の中で、大変に勇気のある、大胆な提言でした。
私は、七二年の国交正常化後しばらくして帰国しました。私のような一記者に対しても、羽田の国際空港には、日中の友好関係を快く思わない勢力が待ち受けていたのです。友好の雰囲気が高まってきていた時期ですら、そうだったのですから、正常化前の厳しさは推してはかるべしです。
当時の日本政府は、中国との相性が悪かった。貿易関係の実績をふまえて、国交正常化の流れをつくろうという期待はありましたが、政府の政治的態度は中国を刺激し、「日本は軍国主義にもどるのではないか」という強い危惧をいだかせていたのです。
何としても、この危機を乗り越えねばならないと、松村さんは、車椅子で訪中しました。そういう背景の中で、池田会長は提言を発表され、中国を疎外するのではなく、国際社会の一員として尊敬して迎えるべきで、カーテンを隔てて関係を結ぶようなことは良くないと言われている。
国連における合法的権利の復活も訴えられた。これは、提言どおり七一年に実現しました。経済・文化の交流を推進しようとのお話も重要でした。
ほかに影響力のある人で、このようなことを言った人はいないでしょう。政治家は、絶対、言いません。命がけです。
当時、朝日新聞の代表に、ある政治家から「ぼくも本当は中国と仲良くしたい。ぼくの手で、国交回復をやり遂げたいんだ。訪中の打診をしてくれないか」と言ってきたことがあります。
ところが、その翌日、「昨日の話はなかったことにしてくれ」と。“命がいくつあっても足りない"状況を察知したのでしょうか。
そういう雰囲気の中での池田会長の発言ですから、本当に偉いことだと思います。経済界も中国とかかわる場合、大企業自らが動くのではなく、関連の子会社が動きました。宗教界でも、あれほどの発言はなかったのではないでしょうか。繰り返しますが、影響力を持つ人が、あれだけ大胆な発言をすることは、命がけでなければできません。
(後略)
(時事通信 2002.08.29 16:04)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020829-00000671-jij-soci
...知らなかった、そんな訴訟やってたの。誰だよ訴えた「都民3人」て。ヒマだな~。文化革命時代に日本の記者で唯一中国滞在を許され、中国の提灯記事書いてた
:秋岡家榮(あきおか・いえしげ)
:一九二五年、京都府生まれ。朝日新聞の外報部記者として、イ
:ンド、ベトナム特派員を歴任。いわゆる文化大革命二年目の六
:七年十一月から、七二年九月の日中国交回復まで、北京支局長
:を務めた。現在、「人民日報海外版」日本発行代理人。
この人、東京都東村山在住だそうだが、カレじゃないだろうね(笑)
【秋岡さんて、コンナ人 参考サイト】
書名:朝日新聞血風録
http://www.hi-ho.ne.jp/gnp_hp/book/000/070_210_4163460209.htm
愚痴
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Knight/1757/f-np/011001-15.html
世雄会会報 日中国交回復の舞台裏
http://www.fuji-seou.org/seou0801_3.htm
及び、ナゼかいつのまにか創価学会公式ホームページから削除されてしまった記事より抜粋。
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周総理と池田会長の信頼の絆
朝日新聞元北京支局長が語る
(創価学会公式ホームページ)
http://www.sokagakkai.or.jp/html6/sgnews/1999-07/12-13.html
一九七四年の五月二十九日、池田名誉会長が、初の中国訪問へ出発してから、二十五周年を迎えた。
二十五周年の節目に際し、朝日新聞・元北京支局長の秋岡家榮氏から、名誉会長の提言が「国交正常化の基礎になった」等の所感が寄せられた。
「人民日報海外版」
日本発行代理人
秋岡家榮氏
中国は、ずいぶん前から創価学会のことを研究していたようでした。周恩来総理や中国首脳は、訪中した日本人に、何度も、学会の情報を求めていたようです。松村謙三さん、高碕達之助さんが学会のこと、池田会長のことを、周総理に進言していたことは、中日友好協会の黄世明副会長も記しています。
ではなぜ、周総理が創価学会に注目したのか――。
総理は常に“大衆”に関心を置く人でした。学会がその点“大衆を基盤にした”大きな力を持っていることに留意したのではないでしょうか。
一九六八年、私は、特派員として北京におりました。池田会長の“日中国交正常化提言”を、朝日新聞紙上で知ったと記憶します。この提言は大変なものでした。第一に、内容が非常に正確です。この提言で示された方向の通りに、その後の日中関係は動いたと言えるでしょう。その先見性には、目を見張るものがあります。
池田会長の提言が、日中国交正常化の“基礎”になったと思います。と同時に、当時の厳しい社会情勢の中で、大変に勇気のある、大胆な提言でした。
私は、七二年の国交正常化後しばらくして帰国しました。私のような一記者に対しても、羽田の国際空港には、日中の友好関係を快く思わない勢力が待ち受けていたのです。友好の雰囲気が高まってきていた時期ですら、そうだったのですから、正常化前の厳しさは推してはかるべしです。
当時の日本政府は、中国との相性が悪かった。貿易関係の実績をふまえて、国交正常化の流れをつくろうという期待はありましたが、政府の政治的態度は中国を刺激し、「日本は軍国主義にもどるのではないか」という強い危惧をいだかせていたのです。
何としても、この危機を乗り越えねばならないと、松村さんは、車椅子で訪中しました。そういう背景の中で、池田会長は提言を発表され、中国を疎外するのではなく、国際社会の一員として尊敬して迎えるべきで、カーテンを隔てて関係を結ぶようなことは良くないと言われている。
国連における合法的権利の復活も訴えられた。これは、提言どおり七一年に実現しました。経済・文化の交流を推進しようとのお話も重要でした。
ほかに影響力のある人で、このようなことを言った人はいないでしょう。政治家は、絶対、言いません。命がけです。
当時、朝日新聞の代表に、ある政治家から「ぼくも本当は中国と仲良くしたい。ぼくの手で、国交回復をやり遂げたいんだ。訪中の打診をしてくれないか」と言ってきたことがあります。
ところが、その翌日、「昨日の話はなかったことにしてくれ」と。“命がいくつあっても足りない"状況を察知したのでしょうか。
そういう雰囲気の中での池田会長の発言ですから、本当に偉いことだと思います。経済界も中国とかかわる場合、大企業自らが動くのではなく、関連の子会社が動きました。宗教界でも、あれほどの発言はなかったのではないでしょうか。繰り返しますが、影響力を持つ人が、あれだけ大胆な発言をすることは、命がけでなければできません。
(後略)