昼間、大晦日の餅搗き。思ってもみなかった事で、知らないうちに庭に臼と杵が用意されていた。オバチャンは餅米を蒸かし、折りたみのテーブルには紙の皿、小豆や何やらの準備が整っていた。意外だったのは大根おろしまであった。
みんなで代る代る餅を搗き始めた。私も生まれて初めての体験をさせてもらった。杵というのは傍で見ているのと違い、結構重いものだった。搗き上ったお餅はその場で戴いた。なにしろまだ湯気の上がっているお餅、それも自分でも参加したものを食べるのだから、もう最高!! 大晦日の嬉しいハプニング、みんなでとても良い思い出が出来た…と、大はしゃぎ。心憎い程のオヤジさんの心遣いに感謝。他の民宿での事は判らないけれど、こうした事がこの泉屋の人気の秘密かもしれない。子どもたちの様な客と共に楽しみ、喜ばせてくれる。人柄と云うのは意図して出てくるものではない事のいい見本だ…と云う事を学んだ様な気持ちになった。ここでも私は又、旅の歓びの一端を満喫出来たのだった。昨日この泉屋へ来て一泊して今朝帰って行った勝連村(那覇本島の中部辺り)第二保育所の四人娘にも、この味わいを分けてあげたかった。
保育所と言えば、昨日の彼女達と入れ違いでやって来た藤原先生と呼ばれる老女史は、千葉県で幼稚園を営んでいるそうである。そしてその藤原女史を訪ねて那覇から三人の女性が泉屋にやって来た。高子・美恵子・幸子という人達で、美恵子姉さん(OL)を除いた二人は保育園の先生であるそうだ。三人共私より幾つか歳上の所謂お姉様になるわけで、とりわけ美恵子姉さんとは何となく気が合った為か、とても可愛がってくれた。
美恵子姉さんは先生ではないけれど、このお姉さん達や藤原女史の出現でふと或る事に気が付いた。というのは、この一年間で出逢った女性達の中で、とりわけ仲良くなった人達に付いての共通点だ。先ず伊藤喜代子、当時は高校三年生であったけれど今春卒業した後は保母に成るべく学校へ通っている。次に喜代子と前後するが、その1~2週間前には中島敏子という幼稚園の先生に出逢っている。二人共埼玉県在住で越後中里での出逢いという別の共通点も有る、その他にもこの泉屋では何人かの「先生」に出逢っている。つまりこの一年間で私の傍には殆んどの時間「先生」が居たのである。例外中の例外が洋子だろう。
まあ、この様に「先生」付いていた一年も今日が最後。そしてその最後を締め括ったのは、まさか存在するとは思わなかった『鐘』だ。これ迄島内はいろいろと歩き回ってきたけれど、一度も見た事はないし、誰も何も言わなかった。ところが有ったのだ。除夜の鐘を撞く鐘が!! そしてこれも「思い出」…と頼んだら、心良く撞かせてくれた。これまた生まれて初めての体験だった。これが念願叶ってやって来た竹富・泉屋での年始を迎えるべく年末…大晦日。
新年の雰囲気を少しでも味わってから内地に戻る為、家に帰るのは七草の明けた頃になるだろう。一緒に来られなかった喜代子の為に、沖縄を思わせる物をせめて何か一品お土産品に…沖縄気分を伝えたい。
今年もあと数時間で終る。みんなどの様にして新年を迎えるのだろうか…? 昔の仲間、去年の旅人…来年出逢うであろう旅人達。今私は確かにこの竹富で年末を過ごし、そして年始を迎えようとしている。この言葉以上の歓びを、明日の旅の歓びに…!
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