気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

7月30日 (ナナサンマル-1978)

2016年07月30日 | ブログ

7月30日と云う日。                                                            東京では隅田川の花火大会が開催される。今年で39回目という事だから再開されての第一回目は1977年という事になる。ここ最近はスカイツリーの影響も有ってか、浅草近辺は人出も多い。が、それに輪をかけてこの日は、人が湧いてくる。酔っ払いが大勢たむろして、一気に風紀が乱れてしまう。一体あの連中は何処から湧いてくるのだろう? 要らぬ詮索を毎年してしまう。                                  しかしやっぱり花火は近場で観る方が味わい深いものが有るのも事実だから、何とも言えない。痛し痒し・・・とは、こう云う気持ちなのですねえ。人が集まれば経済効果も有る事だし。でも、私のサイフには影響無しと云うのが口惜い。                                 そもそもご覧の様に台東区自信が広報を通じて『皆さ~ん、いらっしゃ~い』と宣伝をしているのだから『何かの意図』を感じないではいられない。でもねえどうせなら年に一度とは言わずに、ひと夏の事、何度でもやって欲しいという気持ちにもなって来ます。         元々はかの暴れん坊将軍・吉宗に由来しているとかいないとか。本当のところは置いといて、江戸時代の花火大会って、どの様な物だったのでしょうね。余り色鮮やかなものでは無かったという話しを聞きます。まあ、納得は出来ますよね。そもそもは戦の時の狼煙が発展したらしい・・・という話しも耳にします。それはともかく、現在よりは楽しみが少なかった時代の事、江戸の庶民の気持ちを想像しながら花火を見上げるって云うのも、いいかも知れませんね。

この隅田川の花火だけではないのですけれど、いつも私が思う事。それは、同じ時間に、同じ火薬を使いながら、遠く離れた所では、殺戮の道具として使われている・・・と言う事。「何故なの?」と考えても私には答えを出せません。どうして歓喜と悲鳴とに分かれてしまうのでしょう。日本って幸せな国だという事が良く解る瞬間です。

それはそうと、38年前の今日、7月30日は特別な日です。それは沖縄に関してです。いわゆる『ナナサンマル』と呼ばれていました。えっ、何の事かって? それはですねえ、38年前の1978年7月30日に、自動車などが右側通行から本土並みの左側通行に変更された日なのです。その日沖縄は雨が降っていて、只でさえ慣れない左側への通行車線変更に加え雨降り。那覇本島では事故が多発していました。特に夜に多かったのを記憶しています。                             私は竹富島に居てTVで那覇の様子を見ていました。竹富島で変った事と云ったら、通常お巡りさんのいない島に何故か数人やって来たと云う事。だけどどう考えてもその必要は無かったのですけれどね。と云うのも、もともと車の数が少なくすれ違う事など極稀で、そのうえ道幅自体本当に狭いので(牛車が対面すると、どちらかが後戻りをする程)通行車線変更などは何の影響も無いからです。まあ現在では、島をほぼ一周する道幅の広いアスファルトの道が出来てはいますが、それでも村落の中に入れば未舗装路が何とも言えない島の味を醸し出しています。それが嬉しい。                               そうなんですよねえ、お巡りさんの居ない(必要としない)ステキナ島なんですよねえ。おまけに鍵をかける事も無い。そんな島です。

夜空を彩る花火を見ながら清々しい気持ちになる時、同時にそんな平和な島が存在する事を考えてみては如何なものでしょう。きっと、より一層心豊かになると思いますよ。それにしても沖縄、複雑すぎますよね!

 

 

 

 

 

             


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