「物思いに耽る秋」と云う言葉通りに、静寂を守る夜の音を聴きながら、遠い遠い昔へと記憶の壁を越えながら、時間旅行をしていた。紅茶を何杯も飲みながら・・・。不思議な事に幼い日々の友達に出逢うと、みんなは私を歓迎して出迎えてくれた。数十年も経った私を「私」として認識出来ていた。まるで当時のままの様に。今では他界した子も、1.000km以上離れた処に居を構えた子も、時々会う子も・・・。考えてみれば、今の私はあの子達に築き上げられた様なもの。
場面はいつしか私の育った家の中、でも、誰も居なかった。そこには当時の幼いままの私が居た。その私はしきりにテレビを観ていた。そうだった。私が音楽を無意識のうちに生活の一部とする頃、同時にテレビを観る事が日課の様に、極々自然な行為だったのだ。何を見ていたのか、思い出してみよう・・・。
先ずは日本のものから。年代は殆ど覚えていないので順不同です。
子供向けとしては、月光仮面(大瀬康一)・怪傑ハリマオ・ジャガーの眼・少年ジェット・マグマ大使('66)・ナショナルキッド・ポンポン大将・ホームラン教室・チロリン村とクルミの木・ひょっこりひょうたん島・忍者部隊月光('63)・・・など。
家族で見られるものはドラマなどを含め、お笑い三人組・でん助劇場(大宮敏光)・おとなのマンガ(作・青島幸雄、クレイジー・キャッツ)・サザエさん(江利チエミ)・いじわるばあさん(青島幸雄)・番頭はんと丁稚どん(大村崑)・スチャラカ社員・てなもんや三度笠(藤田まこと)・とんま天狗(大村崑)・ひまなし飛び出せ・事件記者・月曜日の男(夏木陽介)・七人の刑事・青春とは何だ(夏木陽介)・これが青春だ・飛び出せ青春・燃えろ青春・・・(この青春シリーズで竜雷太がデビューした)など。他ではジェスチャー(柳家金五郎)、アップ・ダウン・クイズ、買い物クイズ(いとし・こいし)・・・など。
音楽番組は、夢で逢いましょう・シャボン玉ホリデー、ザ・ヒット・パレード、ホイホイ・ミュージック・スクール、平凡歌のアルバム・・・など。
時代劇では、隠密剣士('62)・あんみつ姫(松山洋子)・新伍十番勝負(山城新伍)《字が異うかもしれません》・琴姫七変化・白馬童子・笛吹き童子・風小僧・矢車剣之助・高丸菊丸・・・など。
マンガ(アニメ)では、オオカミ少年ケン・鉄腕アトム・鉄人28号・宇宙エース('65)・丸出だめ夫('66)・魔法使いサリー('66)・高速エスパー('67)、ジャイアント・ロボ('67)、黄金バット('67)・ビュンビュン丸('67)・巨人の星('68)、タイガー・マスク('69)、アタック・ナンバー・ワン('69)、ハクション大魔王('69)・秘密のアッコちゃん('69)…など。劇場版アニメでは「安寿と厨子王」が有りました。
外国の(アメリカ)ものでは、年代の判っているものから列挙すると以下の様になります。
'56.スーパー・マン、カウボーイ・Gメン、'57.ヒチコック劇場、アイ・ラブ・ルーシ、名犬ラッシー、'58~'66.うちのママは世界一(The Donna Reed Show)、パパは何でも知っている(フレッド・マクマレイ)、'59.ペリー・メイスン、'60.サンセット77(エフレム・ジンバリスト・ジュニア)、ルート66(ジョージ・マハリス),未知の世界ミステリー・ゾーン、ボナンザ、テキサス決死隊、'61.サーフ・サイド6(トロイ・ドナヒュー),アンタッチャブル、原子力潜水艦シービュー号、'62,じゃじゃうま億万長者、ベン・ケーシー、コンバット、'64.逃亡者、'65,FBIアメリカ連邦警察、宇宙家族ロビンソン、0011ナポレオン・ソロ、'66.タイム・トンネル、奥さまは魔女、サンダー・バード、わんぱくフリッパー、宇宙大戦争スター・トレック、かわいい魔女ジニー、'67.スパイ大作戦、'69.鬼警部アイアン・サイド、'73.刑事コロンボ、'75.大草原の小さな家。 ※(パパは何でも知っている)のフレッド・マクマレイは・音楽家。その世界ではかなり人気を博していたそうです。
年代の判らない物は、古いものが多いです。
ローン・レンジャー、保安官ワイアット・アープ、コルト45、幌馬車隊、ガン・スモーク、ライフル・マン、3バカ大将、名犬ロンドン、名犬リンティンティン、ドクター・キルデア、ミスター・ノバック、チビッコ・ギャング、それ行けスマート、ブラボー火星人、ペチコート・ジャンクション、87分署、バークにおまかせ、ミッチと歌おう、エド・サリバン・ショー、陽気なリッキー、ザ・モンキーズ、怪傑ゾロ・・・とまあザッと挙げればこんなところです。もっと見ていたのだとは思いますけれど、思い出せないものもかなりあると思います。 ※(ライフル・マン)の主人公はメジャー・リーグの選手でした。その子供役のエディ・ホッジスは後に歌手となり「恋の売り込み」「コーヒ・デイト」など伊東ゆかりや飯田久彦などが日本語の歌詞で歌うなど、日本でもヒットした曲を出していた。
この様に外国のテレビ番組が多かったのには、或る一説としての理由が有るのです。それはアメリカの思惑が絡んでいて、「日本をアメリカンナイズ」させると云う政策の一環と云う説です。戦後の日本を如何に「西側」に留めておくかと云う事なのでしょう。これは単なる邪推では有りません。そこには歴とした理由が有るのです。
それは放映権料一つをとっても解る事です。詳しい数字的な事は解りませんけれど、当時のアメリカのテレビ番組を日本で放映する時の放映権料は、考えられない程安かったのです。これは紛れもない事実。この事が意味するものは見過ごせません。折りしも日本では各家庭へのテレビの普及が急加速していて、日本でも様々な番組が製作されてはいたのですけれど、その間隙を縫う様に、アメリカン民主主義が流入して来たのです。それこそが図に当たった政策だったのです。そして私達はそれを素直に受け入れました。或る意味では東西冷戦に於けるアメリカ側の作戦とも言えるでしょう。結果としては見事に成功。私達は新たな文化を享受したのです。
高度経済成長期に、その文化的母体として良き時代のアメリカ的文化が一部の側面として、影響をもたらす存在として強く根付いていたのです。つまりテレビに拠るアメリカ文化の洗礼をごく自然のものとして身に付け、生活の中に取り入れていく事になったからです。
現在の日本を語る時、戦後間もなく出現したテレビ文化を忘れてはいけません。そこにアメリカの「色」が多大な影響力を内在していた事も。世代は変って、現在だけを見詰めているだけでは「今」を見詰めている事にはなりません。
その時その時に於いて形態は変っていくものです。それはそれで当然の事です。時には目を瞑り、耳を塞ぎたくなる様な事も有ります。しかし、繰り返しますけれど、日本の現在の一端を創り上げたのは、あの時のテレビ・ブームであった事に間違いは無く、或る意味、それを誘導していたのはアメリカ産のテレビ番組であった事は否定は出来ません。
1964年の東京オリンピック前後、音楽と共にテレビが日本の文化面の一翼を担っていました。日本人は何処へ向かっていくのか? 日本人に何が在ったのか? 温故知新と云う言葉で今一度考えるべきだと思います。
長い秋の夜、何杯も紅茶を飲みながら、テレビっ子であった幼き日々を思い出していた。思い出は思い出を呼び、それは膨らみ続けました。私は私のルーツに再会し、今夜も変っていない自分自身を再確認しました。これは、「紅茶の魔法」の為せる技なのか…。
朝も早よから、お立ち寄り頂いたのですね、有り難う御座います。いらっしゃるのが判っていれば、お茶でもお出し致しましたのに、甘~い羊羹も有ったのですよ。でも先程食べちゃいました。
私はアナログ時代の生きた化石。真新しい現在のデジタル時代に追い着けず、古~い古~い昨日へと思考が進んで行きます。不思議ですね~、世間で言う様に、齢を重ねると現在の事よりも過去の事が鮮明に思い出されてくるなんて。
人はいつでも自分のルーツを探しに旅をしているのかもしれませんね。「平成」よりも「昭和」が好きです。温かな時代に自己形成を果たしたからでしょう。
そう、正に私は『昭和の生存者』だと自負しています。
つばらさんも、のんお姉さんも同類だと思います・・・けど。