気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

6.18. 小浜島

2022年06月18日 | 日記・エッセイ・コラム
また旅の靴を履く、その朝がやって来た。八時の船で栄子と康代が先に出発。二人共石垣⇒那覇⇒大阪と、真っ直ぐ家路につくそうである。
「サヨナラはやめよう。待っててね」
と言ったのを覺えている。どうして「待っててね」なのか自分でも解らないが、そう言ってしまった。日昇丸が遠く離れ、顔が見えなくなっても(判らなくなっても)手を振るのが見えた。 数時間後、さて私と章子はといえば、泉屋の広間。 
「そろそろ行かなくちゃ乗り遅れるわよ」 
「うん、そうだね。それじゃちょっとオヤジの処へ顔を出してくるね」 
オヤジに小浜島へ行くからと別れの挨拶をして、おばちゃんな宿代の精算をしてもらった。おばちゃんは一言二言名残惜しさを伝えて料金を少しまけてくれた。 
「おまたせ、じゃァ行きますか」
「うん」
日昇丸の乗船券は章子が買っておいてくれたので、私達は(東の)桟橋へ直行した。午後二時発の船は三十分間波を掻き分け、私達を石垣島迄無事に運んでくれた。船尾から見るスクリューの跡、大きなうねり、その色。遠ざかる竹富を見ながらも海には喜怒哀楽があり、人間模様との同様さを感じた。二時半に石垣に着くと、そのまま波止場で小浜行きの乗船券を買い、出航時間を確認しておいた。四時五分出航。そこで約一時間半の時間をどうしたものかと話し合ったところ、お茶でも飲んで…と云う事で意見の一致をみた。私達は波止場の在る三崎町を少し歩いて「ザボン」と云う民芸喫茶に入る事にした。ここは章子が選んだ店で私としては、実はどこでも良かったのだ。入ってみると、なる程民芸調らしさは有るが、しかし、名前の民芸とは少々ズレた感のある事は隠せないか…(それとも私がこの地の民芸を理解出来ていないだけなのか)。些か「民芸」の看板負けをしているが、それでも他の店と比べれば十分に八重山を映しているので、こんなものかとも思う。ここで流れていた音楽は主にジャズであった。南海の島でジャズとは…と少しばかり妙な気にもなるが、那覇本島と同様、米軍の事を重複して考えた時、すぐに納得出来た。 小浜島へ渡る船の時間が迫って来たので波止場へ戻る事にした。少々薄暗かった店の中から明るい屋外へ。季節的なものかもしれないが、妙に時間が淀んでいる。間もなく四時になろうというのにまだ明るいこの島の空。南国というイメージがいつでも働いている。何処からともなく集まって来る人達に紛れて、私と章子は腕を組んで波止場に着いた。それ程乗船客のいない船は、予定時間を五分遅れて出航。時に4:05pm、私と章子は小浜島へ向かったのである。
(日昇丸 ¥150. ザボン ¥200. 石垣−小浜 ¥280.)

5:20pm.船が小浜島に接岸した頃はまだ明るかった。迎えに来ていた民宿の車に乗り込み宿へと向かう。ホロの付いた軽トラだった。そのホロの中での四十分間は、とにかく落ち着きを欠いた時間であった。そう、とにかくひどいものだった。道はデコボコ、幅は多分小型車がやっとというところであろう。枝がホロに当たり強くスレる音が聞こえ、およそ30km/h以上は出ていないであろう事が良く判った。とにかくそんな車での四十分間を過ごして、やっと民宿に届けられたのである。そう、まさに荷物の様に届けられたのであった。
民宿の名は大城。まずは部屋に案内された。四畳半には床の間、扇風機、置き物、柱時計が付いていて、東と北には窓が有り、北側の壁には丸い鏡がぶら下がっている。南は廊下、西は床の間である。竹富を出て以来の数時間、口を通ったものは僅かにザボンでのコーヒーのみ。おまけに一時間十五分の船と荷物扱いされた車での四十分間のおかげで、二人共腹ぺこであった。そして夕食の時間を楽しみにしていたのであるが、これがまた何とも言えないお粗末な代物。ひどいの一語に尽きる。それでもまァ背に腹は代えられず、二人でブツブツ言いながらもちゃんと食べたのは、余程お腹が減っていたからであろう。私達の着いた席から少しばかり離れた処で、ここの人達が何かを話していた。「何かを」と云うのは、その話しの内容が解らなかったのではなく、その「言葉」自体が解らなかったのである。八重山を、と言うよりこの沖縄全体を巡ってみても同様であろうが、地元民同士での会話というのは、とにかく私達内地の者にとってはお手上げである。「単語」それ自体が全く解らないのである。とりわけても今ここで聞いている言葉は、まるで大陸言葉の様であった。

夜は近くの浜へ二人で散歩に出掛けた。七時半頃であっただろうか、いや時間ははっきり覚えていない。浜辺の後はすぐに戻って来られる範囲内で、あっちこっちと歩いてみた。部屋に戻りビールを飲みながら、私はこの島の印象を追ってみた。初めてこの島にやって来てまだ数時間、一晩と経っていないのに、この島からは陰気さだけしか感じられないという事が、まさに「この島の顔」の様に思えてならない。歴史的な事は判らない。夕方着いたのだから昼間の事は判らない。その他解らない事ばかりで、逆に知り得る事は何も無いのに、『暗さ』『陰気さ』が、この島の顔であるかの様なイメージとして受け取ってしまうのは何故なのだろうか。理解に苦しむ。飽くまでも直感であるとしか言い様が無い。
ここを出るのは明後日20日(金)、朝九時の船に乗る予定。石垣島に戻ったら、果たしてどうなる事やら…。

❋   余談ではあるけれど、
今日、6月18日は1942年生まれの
ポール・マッカートニーの
80才の誕生日です。
今私の目の前には
ケーキと泡盛があります。

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