映画 アラビアンナイト三千年の願い
千夜一夜物語のアイデアが西に行くと西遊記みたいな物語になるから、東(イギリス)の方へ行くとどういう物語になるのかと気楽に楽しい気分で見に行った。まず壺から出てきた召使が何でも三つの願いをかなえてくれるという。わたしなら、今後いかなる願いもすべてかなえるという願いを一つかなえてくれるだけであと二つはパスというか無効というかどうでもいいことにしておくんだけどな、なんでこの人この案を言わないんだろうとやきもきしながら見ていた。何しろ私は小さな願いが連続していくらでも湧いてくる心を持っている、三個ぐらいでは収まりがつかない。
しかし、映画は荒唐無稽だがシリアスな方向に展開して、様々な見方があるだろうが私は仕事を優先した人(主人公の女性)のゾ~とするような孤独を描く映画(もちろん批判的にである)ではないかと観た。(もちろんハッピーエンドになるように作ってはあるが。)イギリスには孤独担当大臣までいるそうである。日本は、遺憾ながら七つの海を支配するところまでの発展はなかったものの海洋国家であるところは瓜二つであるからイギリスのあと追いをするのは目に見えている。日本にも孤独担当大臣ができるかもしれない。
どうも資本主義は人々を競争させるために、孤独に陥らせる作用があるようである。高度経済成長が始まるまでの日本は、冷暖房はもちろんなく便所も汲み取りだしそこら中にハエが飛び回って不便で不衛生で困ったところだったが、年寄りの孤独というのはなかったように見受けられる。(介護施設なんかどこにもなかったような気がするけど)または、すべての年代で孤独は少なかったように見受けられる。その代わり過剰な付き合いが求められて面倒くさかったとも見える。
家族を解体してバラバラの個人にした方が資本主義としては効率がいいのであろう。システムはそれでうまく作動するかもしれないが中にいる人間がアップアップしている、そういうことをこの映画は言いたいのであろうか。資本主義は行き詰っている、新しいシステムが必要であると言いたいのであろうか。
だったらあの召使の魔人が語るシバの女王のエピソードやアラブのハーレムのエピソードは全体とどうつながるんだろう。様々なことを考えるために時間をおいてもう一度見たい映画である。
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