小説 新坊ちゃん⑱ 新学年
二月になると新一年生を受け入れる学年団というのが結成される。その中にはわたしも入っているし、あの英語の清楚な木曽先生も入っている。私は辞める気であるからさっぱり仕事をする気がしないままである。たとえ油爺やキツネ目がいなくて気分のいい職場であったとしても給料が安すぎであったため、仕事に気が乗らなかったであろう。さっさとやめたいのであるが、その先どうするのかを考えると踏み切れぬまま日が過ぎていっていたのである。予備校からお話が来るまでの間は、自分の母親の機嫌を損なわぬためにもこのまま続けようかと思案はいきつ戻りつであった。
その学年団最初の仕事というのはここでも結団式と称してまた宴会であった。どこまでも宴会の好きな人々である。ただしこの学年には油爺が居ないので猥談を聞かなくて済むのが唯一良いことである。この宴会では修学旅行の行先が議論になっていた。そんなもんあの教頭に頼んで筮竹じゃらじゃらやってもらえばいいことじゃないか、二、三分で済む話である。その議論を聞きながらこの人々は自分が何かの決定に参加することで自分は仕事をしていると勘違いしたい人々であると考えた。形あるものを作り出すという仕事でないとこんな風になってしまうのである。ものを作らない仕事はこんなつまらぬ議論でもやっていなければ心が満足しない。心が満足しないとついつい自分の近くにいる人間をいたぶってそのヒトが苦しむさまを見て楽しむという倒錯した心境になるんだろう。教職員間にいじめが起こるのは、仕事が形あるものを作り出さないからであると自信をもって断言できる。
この宴会で分かったことは、どうやら油爺は校内のありとあらゆる噂を知っている立場にあるらしくて皆が恐れる存在であることと、どうやらつぎのいじめのターゲットが決定されたようであることであった。そのターゲットが誰であるかはみんな大体わかっているそんな風情であった。その帰り道木曽先生がわたしにそっと
「おからだをたいせつになさい。」
とささやいた。
ちょっと暗くなった夜道でこんなこと言われるのは光栄である。三畳一間に住んでしかも明日にでも辞めようとしている人間に深窓の令嬢がささやくのであるからかなりちぐはぐな感じがする。その時は何の意味か、まさかわたしに気があるわけではないだろうにと自分にいいように考えていた。
もう三十年くらい前のことであるが、いま思い出して木曽先生が体を大事にというのはわたしがつぎのいじめのターゲットになっていてそれを知っていて私にそうささやいてくれたような気がする。ただ、当時のわたしは脳天気で「気の毒に次はだれが狙われるんやろ。」と人ごとに思っていた。わたしは将棋で次にこの人はこんな手を打つだろうとの予測はたいていの場合外したことがない。しかしこういうことは全く予測できない。特に自分のことになるといつも自分にいいように予測してしまうところがある。今回も屹度そうではなかったか。もしそうなら恥ずかしいことである。
果たして本当にこのまま次の四月から担任をすることになるんだろうかと不安な気持ちであった。帰って土谷君に電話して
「次のいじめのターゲットが決まったようだが誰だと思う。」
と問うてみた。彼もその後のことは知らないのでそれまでの知識で何々科の何々先生じゃないかとかいう話を二人で散々した。
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