日本銀行 我が国に迫る危機(河村小百合著 講談社現代新書)②著者経歴について
私の思いは、なぜ破たんするのかを説明してもらいたいということと破たんすればどんなことになるのかを知りたいということに尽きる。私の長年の考え(こんな金融政策は根っこから間違えている)にはさすがに何にも触れていないからそもそも私の疑問が荒唐無稽なマチガイなんだろうと思う。すなわち緩和は必要であったがちょっとやりすぎなんじゃないか、こんなことではあとが大変ですよという議論の進め方である。(私の疑問である)なぜ緩和が必要なのかはあまりしっかり説明している風に見えないので、きっとそんなのは欧米もやってることだし常識でしょうということか。いまさらそんなこと聞くなということかもしれない。
さて読み進んでいくうちにあることに気づいた。日銀の政策をこれでもかこれでもかと執拗に理詰めに批判している。読者は批判も聞きたいが、では日銀はどうすればいいのかとか もっともタイセイせつなことは自分達(読者の側)がどうすればいいのかを聞きたいのになかなかそこへ行かない。夫婦喧嘩でおかみさんがあんたのここがいかんいかんと言うばっかりでどうしてほしいのか言わないもんだからこの夫婦喧嘩を遠巻きで見ている側はやきもきしてしまう。さらにこの夫婦がこの村唯一の御飯屋さんであったとすると明日の朝の御飯は多分作ってくれそうにないので、村人全員が明日の朝ごはんどうしようという心配があるのにその対策までなかなか行かない。これがいかんあれがいかんと言い続ける。もちろん根拠のあることだろうけどもであるがこれがあまりに多すぎる。
著者略歴を見てそうかもと思った。著者は日銀に勤めて(それがどのくらいの期間お勤めであったとは書いてないが)そのあと転出されている。そこで古巣の批判を書かれている。これは思い過ごしかもしれないが、転出するときになにか心に差し障ることがあったのではないか。だからとことん叩いてやるということではないか。
歌舞伎を見ていると何のところであったかはさっぱり思い出せないが「げに凄まじきは宮仕え。」のセリフがある。オオ昔も今も変わらんのやなと思った記憶がある。それである。こんなに叩くのは、宮仕えの際の恨み骨髄だからでないかと思ってしまう。たしかに理詰めに淡々と書いている。しかしそこになにか怨念の様なものを感じるのである。
であるから、この本のこの理詰めの部分はほどほどの付き合いにしておいていいのではないかと思う次第である。ちょうど夫婦げんかの際のここがいかんあれもいかん大昔のあれもいかんちょっと前のあれもいかんとたくさん言ってるように見えて全部同じところを指摘しているようなものである。全部に付き合っていたら疲れてしまう。
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