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『孟子』第一巻梁惠王章句上、第四節、第五節

2015-09-15 10:34:13 | 漢文解読
                        第四節
梁の惠王は言われた、「私は出来れば落ち着いてあなたに教えを受けたいと思う。」孟子は答えました、「人を殺すのに、杖で打ち据えて殺すのと、刃物で殺すのと、何か違いがあるでしょうか。」「違いはない。」と王様がお答えになりますと、孟子は、「王様の調理場には肥えた肉があり、厩舎には肥えた馬が飼われておりますのに、民は飢えて苦しみ、野には行倒れの餓死者がいます。これではあたかも獣をけしかけて人を食らわせているようなものです。人は獣同士が互いに食らい合いすることでさえ嫌だと思うのに、民の父母たる君主として政治を行いながら、獣をけしかけて人を食らわせるような状態を避けることが出来ないようでは、どこに民の父母たる資格がありましょう。孔子が、『始めて墓に入れる為の俑という土人形を作った者は、天罰で子孫が絶えるであろう。』とおっしゃっておられますが、それは、たとい人形でも人の形をしたものが、墓に埋められるのが堪えられなかったからです。人間はこのように尊いものですから、その民を飢えて死なせるようなことを、決して行ってはいけません。」

梁惠王曰、寡人願安承教。孟子對曰、殺人以梃與刃、有以異乎。曰、無以異也。以刃與政、有以異乎。曰、無以異也。曰、庖有肥肉、廐有肥馬。民有飢色。野有餓莩。此率獸而食人也。獸相食、且人惡之。為民父母、行政、不免於率獸而食人。惡在其為民父母也。仲尼曰、始作俑者、其無後乎。為其象人而用之也。如之何、其使斯民飢而死也。」

梁の惠王曰く、「寡人願わくは安んじて教えを承けん。」孟子對えて曰く、「人を殺すに梃(テイ)を以てするは刃もてすると、以て異なる有るか。」曰く、「以て異なる無きなり。」「刃を以てすると政もてすると、以て異なる有るか。」曰く、「以て異なる無きなり。」曰く、「庖(ホウ)に肥肉有り、廐に肥馬有り。民に飢色有り。野に餓莩(ヒョウ)有り。此れ獸を率いて人を食ましむるなり。獸相食むすら、且つ人は之を惡む。民の父母と為りて、政を行い、獸を率いて人を食ましむるを免れず。惡んぞ其の民の父母為るに在らんや。仲尼曰く、『始めて俑を作る者は、其れ後無からんか。』其の人に象りて之を用うるが為なり。之を如何ぞ、其れ斯の民をして飢えて死せしめんや。」

<語釈>
○「梃」、趙注:梃は杖なり。○「與刃」、刃を以てすとの義。○「庖」、くりや、調理場の事。○「餓莩」、前節に既述。○「俑」、土偶、土人形。

                            第五節
梁の惠王が言われた、「嘗ての強国であった晉を受け継いだ我が国魏は、天下無敵の強国であったことは、先生もご承知の通りです。ところが私の時代になってから、東は齊國に敗られて長男は戦死し、西は秦に侵されて七百里もの土地を失い、南では楚に辱めを受けるという状態である。私はこの三恥に耐えられない。出来れば私が死ぬまでに、この恥を雪ぎたいと思っている。どうしたらこの三恥を雪ぐことが出来るだろうか。」孟子は答えた、「土地は百里四方の小国でも天下の王と為ることが出来るのです。この国のような大国ならなおさらです。王様が若し愛情を以て政治を行い、その恩恵を民に施し、余計な刑罰を省き簡略にし、税を軽くしておやりになれば、民は安心して農事に励み、深く耕作し除草に努めるようになり、若者は農事の暇に孝悌忠信の道徳を学んで身を修め、家の中では父や兄によく仕え、外では年長者によく仕えるようになります。そうなれば王様の人民は棍棒しか持っていなくても、秦や楚の堅い甲や鋭い兵器に勝つことが出来るのです。敵は自国の民の農時を奪い、田畑を耕作して除草して父母や家族を養うこともできないようにしていますので、父母は凍えて飢えて、兄弟妻子は散り散りになるという状態です。このように敵は自国の民を弱らせ苦しめているのですから、若し王様が出かけてこの不仁の者を征伐なされば、誰がこれに敵対することが出来ましょうか。ですから仁者は敵無しと言うのです。どうか王様には私の言葉をお疑い無きことをお願いいたします。

梁惠王曰、晉國、天下莫強焉、叟之所知也。及寡人之身、東敗於齊、長子死焉。西喪地於秦七百里。南辱於楚。寡人恥之。願比死者壹洒之。如之何則可。孟子對曰、地方百里而可以王。王如施仁政於民、省刑罰、薄税斂、深耕易耨、壯者以暇日修其孝悌忠信、入以事其父兄、出以事其長上、可使制梃以撻秦楚之堅甲利兵矣。彼奪其民時、使不得耕耨以養其父母。父母凍餓、兄弟妻子離散。彼陷溺其民。王往而征之、夫誰與王敵。故曰、仁者無敵。王請勿。

梁の惠王曰く、「晉國は天下焉より強き莫きは、叟(ソウ)の知る所なり。寡人の身に及び、東は齊に敗られ、長子は死せり。西は地を秦に喪うこと七百里。南は楚に辱めらる。寡人、之を恥づ。願わくは死する者の比までに、壹たび之を洒(そそぐ)がん。之を如何せば則ち可ならん。」孟子對えて曰く、「地は方百里ならば以て王たる可し。王如し仁政を民に施し、刑罰を省き、税斂を薄くし、深く耕し易め耨らしめ、壯者は暇日を以て其の孝悌忠信を脩め、入りては以て其の父兄に事え、出でては以て其の長上に事えば、梃を制して以て秦楚の堅甲利兵を撻たしむ可し。彼は其の民の時を奪い、耕耨して以て其の父母を養うことを得ざらしむ。父母凍餓し、兄弟妻子離散す。彼は其の民を陷溺す。王往きて之を征せば、夫れ誰か王と敵せん。故に曰く、『仁者は敵無し。』王請う疑うこと勿れ。」

<語釈>
○「晉」、春秋時代の大国晉が、魏・趙・韓の三国に分裂して戦国時代が始まった、これを三晉と呼ぶが、魏が晉を称するのは、晉の中心部を引き継いでいるからである。○「叟」、年寄りに対する敬称、相手への敬称としての先生。○「洒」、雪ぐ。○「耨」、音はドウ、訓はくさぎる、田の除草をすること。○「梃」、木の棒、棍棒。○「撻」、音はタツ、訓はうつ。

<解説>
第四節では、王は人民の父母であるから、民を愛し、安んずることに努めなければならないと述べ、第五節では、その為に民に対して仁政を施せば、民は親に仕えるように、王に仕えるようになり、國は強固になることを説いている。王の資格の第一は民を愛すること、これが第四節の趣旨であり、國を治める上で最も大事なことは、仁政を施すこと、乃ち仁者に敵無し、これが第五節の趣旨である。

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