空手つれづれ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

騎馬立(ナイハンチ立ち)よりも波足立ち(ピンアン立ち)

2020-04-10 22:36:14 | 日記
大森まで行くのに電車はガラガラで空いていたのだがわざと立ったまま電車の揺れに対して騎馬立ちて立ってみたが、電車は縦揺れ横揺れと激しい。
それで一歩足がずれる波足立ちにしてひざの力を抜いて立ってみたが、こちらの方が安定があっていいようだった。
 普通に自然体の立ち方もいい。これの方がほかの見ている人からしても自然だね。腕を組んで瞑想して無念無想・・・・いやいやこの境地には程遠い。
ま、そんなことを思いながら乗っていたのだが・・・どうでもいいが、空手着に着替えて体を動かしたいねぇ。
 別に、声を出さなくてもいい、隣との間隔を十分とればいい、窓は時々、いやずっとあけっぱなしでもいい。3密をクリアーして、消毒スプレーは知り合いに提供してもらって十分にある。入口で皆さんにつかってから入場してもらおう。
マスクは親戚のおばさんがひと箱送ってくれた。十分にある。
何ならマスクをして稽古をしてもいいと思っている。
    とにかく空手をやりたいねぇ。

風があって少し寒い中、暇になった細君とクウとで一回りしてきた。
本日も終了だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルバム・24空手の師匠

2020-04-10 20:50:10 | 日記
このアルバム高校時代空手部室の看板を持っていたのがあったが、私が始めたのが沖縄空手小林流が最初であった。
21歳で空手の道に戻った時、たまたま鶴見区のゴム通り入り口で小林流の看板を見かけて入門したのが、写真中央の沖縄の新川次郎という先生である。
 この先生は、小林流の開祖、知花朝信先生の弟子だったそうで、月間空手道の、知花先生特集の集合写真では知花先生の横4人目ぐらいに写っているのを見た記憶がある。流れから行くと私は一応知花先生の孫弟子に当たる。
しばらくして看板を先生の名前の新の字をあてて空新流を名乗っていた。
 当時は熱心に毎日通った。稽古は週3回ほどあったが、当時は空手ブーム真っ最中で稽古日は道場に人があふれて入りきれず、道場前の道路で稽古をするか、今の田島中学の先の公園までランニングをしたりして、子供の稽古時間が終わるのを待ってから一般の稽古をやっていたものである。稽古がない日は夕方に行って、巻き藁を突いたりサンドバッグを蹴ったり、型の稽古をしたりして、正直迷惑をかけたことだと思っている。当時はそんなことは思わなかったので、今の若い子は・・・という人もいるが、私もそうだったのだろう。私は今でもそんなことは言わないね。
 新川先生から五段の免状をいただいたが当時としては早い方だった。先生から、ずいぶんほめられたことを覚えている。また、自主稽古が終わると居間に呼ばれてお茶と黒砂糖を出されてよくいただいたなぁ。今思うと、感謝の言葉しかないがずいぶん迷惑をかけたことだと忸怩たるものもある。
今は同じ鶴見区内に居を構えて、当時ランニングをしたという公園近くの田島中学校で空手教室を開いており縁を感じるねぇ。
 その後、先生が沖縄に帰られると、兄弟子であった徳里先生が相模原で教室を開いていてたまにお邪魔して指導を手伝ったりしながら師範免状を頂いた。
ここでの演武会では、バット折りや、ブロック割り、瓦割りなどを行い見に来ていた人をびっくりさせたねぇ。この当時はまだ試し割用のブロックやバットなどは出回っていないときである。
 あの頃はずいぶん無茶もしたものだった。写真を見ると懐かしいねぇ、ぐっとくるものがある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルバム・23、日雇い

2020-04-10 20:23:11 | 日記
仕事がぽつぽつ入るようになると、自由の利く仕事に限られ、その日その日で成り立つ日雇い仕事に行きつくのである。毎朝、一番電車で高田馬場駅で降りて戸山公園、通称ヤマと呼んでいたがそこへ行って、工事現場の責任者がその日の働き手を求めてくるので、声がかかるのを待つのである。売れない小説家や役者の卵も良く来ていた。今では誰でも知っている散歩番組の司会者も当時は来ていたな。
 若い人は声がよくかかっていた。それでバンに乗せられて現場へ行って一日の工事をして近くの駅で降ろされるのだが、顔見知りになると期間の長い工事では直行直帰でしばらくは安泰となるのである。
今の大森駅近くの大手スーパーや羽田飛行場の拡張工事など長い工期で近くで便利だった。
 その頃より少し前に岡林信康だったかな「山谷ブルース」という歌が流行ったが、まさにその世界だ。
 建築現場では体を鍛えて金になるので張り切ったねぇ、つるはしやスコップでどんどんと仕事を人の分までやるのだが、親方から現場には工期というのがあって早く終わると仕事がなくなるぞ、と言われて一生懸命やればいい、というものではないということを知った。大きい現場になると一年も続くので毎日仕事もあって楽だった。
 休憩所通称、箱番、と言ってその横に巻き藁を作ったり、組み立てたパイプで懸垂をやったりして休み時間も鍛えていたが、何しろ荒くれ者どもの吹き溜まりである。「空手?あんなもの後ろからパイプでぶんなぐりゃぁおしまいだよ」などとぬかす輩と仕事をやるんだからなめられてはいけないと粋がったりして警察沙汰もあったねぇ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電車は空いていた

2020-04-10 18:26:51 | 日記
大森まで電車で行ってきたが行きはガラガラで戻りは5時ころなのでそこそこ混んでいたが蒲田止まりの後の電車なので少し混んだようであったがそれでも立っている人がまばらで会ったくらいだ。
 少しは政府の要請も効いているのだろうか、それでも感染者は最高を記録している・・成果は2週間後かね。
どこを見てもコロナのニュースばかりでようやく薬の説明が出てきたようだが、副作用をちゃんと説明すれば効果は大きいと思うのだが、不安をあおるほうが視聴率はいいのかねぇ。
 明るい材料が欲しいのにねぇ。

戻ってクウと嫁さんとで一回り、ここに小さな幸せがある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日はどうかな

2020-04-10 08:30:56 | 日記
今日も情報集めたり、注意しながら過ごすのかな。
大森まで出かける用事もあるので電車に気を付けるかね。
 天気はいい、気持ちのいい朝なんだがねぇ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする