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天正16年(1588年) 、27歳の若さで肥後半国の領主となった加藤清正公。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦えを経て、肥後一国の領主となりました。
領主となった清正公は肥後の国造りを行います。治水、利水、干拓始業など肥後の土台を築いていきます。そして、その中心的事業が現在の熊本城です。
現在、熊本城の行幸橋の手前には清正公像があります。
今も熊本城を守っています。そして、私たちのことを見守っていてくれています。
行幸橋は明治天皇が行幸されたときに掛けられたものです。
明治35年(1902年)、明治天皇は二度目の行幸をされました。当時は下馬橋から城内に入り、南坂を登り、本丸に入りました。ですが、従来の南坂は傾斜が急で折れ曲がっていたため、坪井川に新しい橋を掛け、坂を改修し傾斜を緩やかにし、天皇の御馬車が通れるようにしました。
明治天皇の行幸を記念して作られた橋なので『行幸橋』と名付けました。
桜の季節はこの橋の上の眺めが最高です。桜と長塀のコラボは熊本城の自慢ですが、ただいま長塀の撤去作業中なので今年の桜の季節はいつもと違う景色になりそうです。
馬具櫓、この手前の木のところに下馬橋が架かっていました。根元にある石は橋脚の跡です。
ここは城主の登城口であったため、家臣達は橋の手前で馬から降りる習わしとなっていました。これが下馬橋の名の由来です。
現存する城郭の中で一番長い塀で242メートルあります。
長塀は一直線なので、城の防御という点では弱点となります。
石垣は折れ曲がりながら連続して繋がることで、お互いが支え合い堅固になります。
また、一直線だと、敵が攻めてきたときに、一方向からしか反撃できません。石垣が折れ曲がることによって正面、横から反撃できます。
だから、一見防御には向かない長塀と思われますが、坪井川が堀の役目をし容易に攻める事ができない造りになっています。川を内堀にすることで弱点の克服です。
こちらは行幸橋の西側の長塀です。
行幸橋から北東に天守閣をはじめ、主要な建造物があるので、こちらはなかなか見向きされません。。。
そういう点ではちょっと寂しいけど、熊本城は大きいので、すべてを見てくださいといっても、なかなか難しいですね。
くまもとよかとこ案内人の会は、
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観光ボランティアガイド 『くまもとよかとこ案内人の会』
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