12月14日は、歴史上有名な「赤穂浪士討ち入り」の日です。拙者も以前、赤穂義士が祀られている品川の泉岳寺にお参りに行ったコツがあるバイ。約270年続いた江戸時代、江戸城で7件の刃傷(傷害)事件が起きています。その2件に肥後細川家が係わっています。始めは、1701年(元禄14年)3月14日に起きた播州赤穂浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が公家吉良上野介対する刃傷事件(赤穂事件)。2件目は1747年(延享四年)8月15日に起きた板倉勝該(いたくらかつかね)が肥後五代藩主細川宗孝に対し、間違って刃傷に及び宗孝公は死亡、細川家にとっては藩の存亡の危機に及んだ大事件です。事件内容、年代は違っても事の発端が江戸城での刃傷事件であり、その話の結末が何故か「櫨(ハゼ)」と言うキーワードなのです。この2つの事件に不思議な”縁”を何故か感じるのは、拙者の思い過ごしかも!そぎゃんこっぁ~どぎゃんでんよかバッテン、今回と次回はこの2つの不思議な「縁」について紹介するタイ。
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