2010.11.16 (火)
■「蜘蛛」は食べないか?
2年ほど前に一本釣り(笑)でスピッツファンにしとめたある知り合いで、二児の父親、結構好みがうるさそうな中年少し前の人。
昨日仕事先ですれちがったら、開口一番、「『とげまる、聴いてるよ』。
おお、ちゃんと購入したのか・・・。まだなら貸そうかと思ってたのに。
ちょっと語ろうとしたら、
「ちょっと待って。歌詞を言わないでよ。オレさ、歌詞カード見ない主義だから。で、聴いてるだけだとわかんない言葉があって。それなんだろう?って考えるのが好きなんだよね。スピッツって言葉選びがヘンだから、ん?っていうのがたくさんあって飽きないよ」
ま、そこをおもしろがるのもどうかと思うけど、でもよくわかる。私もこの前にココで書いた「寸前の街」以外にもいろいろあるもの(また今度書くんで、そのときは笑ってやってください)。
「『新月』で、最近やっとわかった歌詞がある。あれさあ、『孤独を食べて~』なんだね。ずっと『このクモ食べて~』かと思ってたよ」
「ああ、『この蜘蛛食べて』ね。スピッツなら虫とか食べるっていうのもないとは言えないよね」
「違うよ、『この雲』だよ。フワフワ浮かぶ雲。蜘蛛はないでしょっ」
なんて会話もありました。
まだ初心者だな、「蜘蛛」だってあるかもよ、あのスピッツだもん、と心の中でつぶやきましたが、蜘蛛は食べないでしょうか。
名曲の誉れ高い「プール」の歌いだしでは、君に会えて「夏蜘蛛になった」んでしたっけ?
で、そのちょっとシニカルな男は意外や、
「『花の写真』、いいねえ。『澄み渡りますように』とか、ちょっと幸せな気分になれるよ。何回も聴いてて、やっと気づいたけどね、実は幸せな曲ではないんだってこと」
などと語っていました。そういうところも、「とげまる」バンドの真骨頂なのかもね。
ちなみに、今思いだしましたが、「TRABANT」の「唐辛子多めでお願い」は、「木枯らしを目で追えば」だと思っていた私。
やっぱり草野正宗、とがってるな。
●家族を失って、まだ対面もすませていない人に群がって「お気持ちは?」と尋ねる愚か者たち。
そういう映像を、「同情します」目線で見ながら感想を述べ合う者たち。反吐が出る。
時間を見るためとはいえ、そういう番組を見てしまった自分にも嫌悪。
二度とあの類の番組は見まいと、今朝誓いました。
●『朝日新聞』夕刊の「追憶の風景」はパリで、フジ子ヘミングさん。
真摯で率直でむき出しな言葉と、そして柔らかい感性で追想する人生。
たった三段の記事に、何十年かの月日の肌触りを感じさせる。
彼女のようではなく、たとえ平々凡々の人生でも、死ぬときには自分に向かって、あんなふうにむき出しの言葉で自分を語れたらいいな。
そういうかっこいい老人になりたい・・・、などと、また始まったな、ワタシ。
●「はやぶさ」が持ち帰った微粒子の中に、小惑星イトカワのものが含まれていたというニュース。
宇宙をさまよって戻ってきたうえに、「夢」も運んできてくれたとは・・・。
神秘を限りなく残したまま、宇宙の解明が進む。
●裁判員裁判で初の死刑判決。
死刑=司法的殺人を根拠とする死刑廃止論に賛同する思いと、殺人という行為を償うことなどできるのか、という思い。
それがずっと揺れている。