2015.1.17(土)
■いろいろな20年
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150117/t10014752481000.html
新聞やニュースでの20年前の阪神・淡路大震災の報道で、あの朝、テレビの画面の光景をかたずをのんで見ていた自分を思い出す。
仕事先の人との約束があったのに、その時間が迫っているのを知りながら、なかなか支度に移れなかったこと。
仕事や家族のことに追われていた私は、関西に住む知り合いの何人かに連絡をとることしかできなかった。
中越地震の頃から、時間的な余裕やネットの利用で、仕事上の小さな応援ができるようになったのも、20年前、何もできずにいた自分のやりきれなさを覚えていたからかもしれない。
大きな災害、多くの別れ、たくさんの悲劇・・・。
でも、肝心なのは、「多くの・・・」で片づけられない個々の悲しみだ。
1つ1つに、それぞれ異なった苦しさや悔いがあるということ。
この20年間は、そういうことを愚かな私に教えてきてくれたのかもしれない。
20年・・・、私にだっていろいろなことがありました。
きっと誰だって、いいことばかりじゃない日々を生きのびてきているんだ。
こういう日には、誰かに、そう、誰だかはわからないんだけれど、そっと肩を押してもらえたような気がするのです。
「ちょっとはがんばらなくちゃね」
■小さな歴史
積水ハウス 「家に帰れば、積水ハウス。」
何度見ても、そのたびに「いいよなあ」と心でつぶやいてしまう積水ハウスのCM。
男の子とイヌの間に流れる時間と、小さな歴史。
大学生になって帰省する青年の「ただいま~」に、「ク~ン」と鳴いて尾を振って迎えに出る老犬。
その昔、私にも、家族より大事なネコがいました。