2010.11.26(金)
■勘違い
今朝の『朝日新聞』の天声人語。
国会での、野党(自民党でしょうね)の若手議員の質問のしかた、言葉の選び方、追及のしかたに「ん?」を唱えていた。
ただ攻撃的な言葉を曼荼羅のように繰り返し、重ねて使っても、「質のいい」丁々発止にはならないよ、と。
たまにいるよね、こういう人たち。立て板に水といえば聞こえはいいけど、「弁舌が立つ」(あれ、こういう表現はないか?)からといって、口論になるとまくし立てて相手に何も言わせない人。
あ、わかる・・・と妙に納得してしまった朝でした。
元女子アナで、自分の選挙運動中に期日前投票に行ったところ選挙人名簿に名前がなく過去に投票に行ったことがないことが露呈してしまった(ウーン、長い・・・(-_-;))、あの「某議員」の顔が一瞬脳裏に鮮やかに浮かびました。
ああいう役割を自ら担っているのか、あるいは背負わされているのか、はたまた生き残るのは「このくらい言って目立たないとね」ってとこなのか。
緩急使い分けて、ああ、なるほど・・・と思わせる質問のしかたは難しいのでしょうか。
答弁もあんなもんだしね。お互い様??
■三島に負け続ける我々
『朝日新聞』(なんだかんだ言っても、新聞オタクな私なのだ)の昨日の夕刊。
三島由紀夫自決から、昨日で40年。
新右翼団体「一水会」の鈴木邦男氏の文章がおもしろかった。ブログでの書きっぱなしの文章に比べ、さすがに読ませる、ポイントが際立つ感じ。
左翼とも格闘家?ともひろ~い親交のある人だけに(昔はべたべたの闘士だったらしいけど)、三島論もおもしろい(って、生意気に言うほど三島を理解はしていませんが)。
三島が望んでいたのは、「創造力が煮え立っている国」、「一方じゃ刀をふりまわす、一方じゃ文化創造力が煮え立っている」。そういうバータリティーがかつてあったのかどうかは別にしても、そういうものがどんどん冷えていくのは実感する。
祖国防衛には心を砕きつつも「徴兵制」には反対(国防は気高い名誉なんだから、義務にしたら名誉が汚れるって)とか、自衛隊二元論とか、ある意味ユニークか。
自身が型にはまることも、また人を型にはめることも忌み嫌った人なのだな。
核を持つべきか、憲法は改正すべきか・・・、そういう勇ましい論議が少しずつ力をつけてきているきな臭い世の中。でも三島が待望していたのは、こんな排他的な社会ではない、と鈴木氏は力説する。
三島の怒りの声のもと、私たちは今も負け続けているというのだ。
■「更生の可能性」とは?
死刑判決を下す際のポイントに「更生の可能性の有無」というのがある。
あれにはずっと違和感あり。
19歳の少年の更生の可能性は、生い立ち、境遇、事件の残虐性、反省の深さ・・・からどう導き出せるのか。
失われた若い、悔しいほど若い命のことを思うと、ただ怒りとやりきれなさを感じるばかりだが、それでも「更生の可能性」はまた別の問題として、ずっと胸のなかにありつづける。
19歳の少年に、その可能性はないのか?
「相棒」の良さは、やっぱり脚本だな。
警視庁の内部の腐敗をばっさり斬ったり、ドロドロした人間関係をえぐったり(彼らのキャラでドロドロ感はあまり濃くはないんだけど)していたかと思うと、今週の回のように、ほっこり佳作がまぎれてきたりする。
この優れたバランスだな。
ちなみに、前にも言いましたが亀山薫さんのゲスト出演望みます!(笑)
私の周囲には「薫ちゃんファン」は結構いるのですが、みなさん一様に、「あれはあれでいいんだよ。登場させない潔さが『相棒』らしさ」と言います。
みんな、大人だなあ。私は会いたい・・・。