2023.04.26(水)
雨の一日。
荒れた天候の地域もあったようだけど、私が今日移動したあたりは、なんとなくモワッとした春の雨の一日だった。
半袖Tシャツの上に薄手のジャケットでちょうどいい・・・くらいの。
駅までの道で、雨に濡れたツツジに会う。鮮やかで、心惹かれる。
知り合いと別れたあと、電車内でアトランダムに聴いていたら、「みなと」~「僕はきっと旅に出る」~「フェイクファー」~「歌ウサギ」が続けて流れてきた。こんなことってある?というくらいの、私にとってのfavorite Spitz-songs。
車窓の雨のようすと効果的にコラボして、スピッツの世界と個人的な思い出がフワフワと踊り始める。
こういう時間は格別だ。劣化しつつある微妙な感性を、ちょっと頑張んなさいよ、と刺激してくれる。
「君ともう一度会うために作った歌さ♪」と「船に乗るわけでもなく」みなとにいる人がつぶやく光景。
「初夏の虫のように 刹那の命はずませ♪」、今は無理でもまた旅に出るだろうと、私でさえ思ったあの頃。
「すり抜けるくすぐったい言葉♪」のすべてが嘘であってもいいと、不確かな道を前に進んだ無鉄砲な時代。
多様性とか言われながら、なかなか認められない個々の暗い部分を「輝いたのは 清々しい堕落♪」と言える潔さと、私の大好きなサビの言葉たち。
ちゃんと小さな思い出に繋がった。
音楽は、言葉は、誰かの心の中で何かを回復させ、少しだけ大きくさせ、少しずつ次の日へと歩かせてくれる。大げさなことではなく、ときには気づけないほどのちっぽけな時の流れ。それがうれしい一瞬をもたらしてくれる。
あまりいいニュースもなく、どうなるんだろうね、と思うことが多い毎日で、私が生きている間にどう変わっていくんだろう、などと思う。
音楽や小説は逃げ場所か?
どうなんだろうね、と自分に尋ねる。
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