2016.9.4(日)
9月に入ったと思ったら、すぐに数日過ぎてしまう。
こんなことしていたら、冬も遠くはないなと、異常に気の早くなっています。困ったなあ・・・。
★台風の被害
迷走台風10号による北海道 南富良野と岩手の岩泉町の台風の被害は目を覆うばかり。
どちらも何回か訪れた思い出のあるところなので、ついつい惨状のようすに身を乗り出してしまう。そういえば・・・とどこかで出会った惨い光景と重なることもある。
避難警報も実際の避難も、「まだまだ」と思うことが多いのだろうと十分想像できるけれど(きっと自分もそうだろうし)、でも「な~んだ」と思って戻ることができるのはラッキーだと思うことにしよう。いつも災害で犠牲者が出るたびに思う。もう、そういうことで迷わずに、先に先に行動するように、それぞれの体内の回路を変えていかなくちゃならないなと。
母のいる施設などを見ていても思う。訓練やふだんのマニュアルはしっかりしていても、人手にない時間帯だったり、介護度の重い入居者の人数によって、予想のつかない事態になったりするだろう。
臨機応変な避難方法をスタッフの力量に負わせるのではなく、平常時からの準備が重要なんだと。
● 被害の状況とボランティア
http://www.tvac.or.jp/news/38997.html
● 募金
http://donation.yahoo.co.jp/detail/1630025/
★「子育て」模範解答って
永遠のテーマだな、「成功した子育てって何?」あるいは「失敗は?」って。
親のしたことがどれくらい子どもに影響したのか、というのも見えないことのひとつ。
人間はさまざまな要素を得て、さまざまな道を通って、さまざまな人に出会って、それで大人になる。そのなかに親はどれくらい重さで、どれくらいの大きさで存在するんだろうね。
親を見ていても、子どもたちを見ていても、回答はない。いつになったらわかるのだろうか。
そういう私だから、テレビの中で人の子育ての「ここに問題があったのだろう」と言える人を「スゴイ人?」と思ったり、「ひょっとして浅いヤツ?」と眉をひそめたり。
いまだに「永遠に解けないテーマ」の最右翼です。だって、第一に、模範解答がないのだから。子どもの数だけ「方法」があるんだとしたら、やっぱり気の遠くなる問題だ。
教育評論家の言うことがイマイチ心の中に入ってこないのは、彼らに問題があるからではなく、「結論めいたもの」を求めていない私の体質に問題があるのかもしれないなぁ。
最新の画像[もっと見る]
- 「掘っても掘っても・・・」、60年代のフリークビートで漫遊記 4日前
- 「掘っても掘っても・・・」、60年代のフリークビートで漫遊記 4日前
- 「掘っても掘っても・・・」、60年代のフリークビートで漫遊記 4日前
- 快晴の高尾山~景信山 6日前
- 快晴の高尾山~景信山 6日前
- 快晴の高尾山~景信山 6日前
- 快晴の高尾山~景信山 6日前
- 快晴の高尾山~景信山 6日前
- 快晴の高尾山~景信山 6日前
- 快晴の高尾山~景信山 6日前