2023.01.17(火)
28年、赤ん坊が立派な大人になれる時間。
それくらい昔のことなんだけど、そうは思えずに、また「私の1月17日」を思い出す。
平凡で特別に記すこともない一日だったけれど、そういうものだ。東日本大震災のときだって、ふつうにいつもどおり、事務所で仕事をしていた。
ただ、あのとき連絡をとりあった幼かった息子たちの今を思うと、時間が確実に流れたことを思い知る。
その同じ時間の長さを、失った大切な命と向き合えずに、あるいは必死に受け止めて・・・、そうして日常を生きてきた多くの人たちは、確実に私なんかとはまったく異なる「時」を見てきたのだろう。そんなふうに想像するくらいには、私も成長してきた。
国の流れが、なんとなく、というあやふやな言葉では表せないほどに明らかに危うい方向に進んでいる今。
「1月17日」や「3月11日」が今までとは異なる色や匂いを漂わせ始めないように、そして、8月の暑い日に起こった2つの大きな惨禍が隠されないように、きっと私たちが意識的に注視していかなくてはならないのだろう。
「戦わない国」を貫くことの難しさと、私たちを無視して曲がり角をいとも簡単に曲がろうとする大きな力への抵抗。
そんなことを漠然と感じる夜です。
それでも、確実に日が長くなり、夕方の明るい空に心が和む。
ただ、季節でいう「春」ではなく、人の営みの中での「春」はまだ遠そうで、先が見えないやりきれなさがいつも体のどこかにある。
今日は仕事のあと、静かなアウトレットで、出産祝いの品を選ぶ。
親しい相手だと、ママの好みとかいろいろ考えて苦しむけれど、今回はそうでもないので、自分の趣味で選べて楽だったな、などと・・・。
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