故郷では この柿を「富山柿」と言っていた。東京に出てきて似た柿はあったけど見つからなかったが、漸くわかったので忘れないように投稿しておく。正式名称は「はちや柿」
相馬藩が今から200年以上も前、天明の大飢饉(江戸時代中期の1782年(天明2年)から1788年(天明8年))の時に多くの餓死者がでて 農地を耕す人がいなくなった。そこで困った相馬藩では、農地を与える事を条件に一向宗僧侶の協力を得て富山地方の人に集団移住を呼びかけた。(今でも富山から来た人たちの菩提寺は、相馬のお寺だったように思う)
当時 富山から移住してきた人が 大事に持ってきた柿の木が「はちや柿」で、相馬では、富山から来た柿だから「とやま柿」というようになった。
渋柿なので干し柿や樽抜きで食べる。kanは樽抜きのほうが 好きだけどね。
今週のテーマは相馬 先ず 1回目は
*相馬節・・・二編返し(南方) 歌つき 二編返し(北方)歌つき
「相馬相馬と木萱(きかや)もなびく、なびく木萱に花が咲く、花が咲く」
イッサイコレワイパラットセ 大灘沖(だいなんき)まで パラットセ
相馬恋しや妙見(みょうけん)さまよ 離れまいとの繫(つな)ぎ駒
駒にまたがり両手にて綱 野馬追(のまおい)帰りの程(ほど)のよさ
伊達と相馬の境の桜 花は相馬で実は伊達に
相馬名物駒焼(こまやき)茶碗 又も名物流れ山
相馬名物石屋根ばかり 瓦ない(変わらない)ので人が好く
鮎(あゆ)は瀬にすむ鳥ァ木にとまる 人は情の下による
竹に雀は仙台さんの御紋 相馬六万石九曜(よう)の星
*最後の節を2度歌うので、2編返し
*九曜は千葉氏の紋
*木萱(きかや)とは、草木のことだが、争う伊達の農民へのメッセージとして”農民”を示している。伊達と対峙している為、比較する歌詞が多い
*イッサイコレワイパラットセ 大灘沖(だいなんき)まで パラットセ 今の相馬の人達への応援歌?
*川内原発の人達は、望んで再稼動?するんだろうな~
千葉では、市内に汚染された土、チョイ置くだけで大騒ぎ。(でも電力は、当然使いたい)
電気料金は地区ごとに変えるべきだな~ 少なくとも原発近く危険あるので無料
消費しかしない東京千葉は10倍?何故しないんだろう【移住進むかもね】それ受け入れるなら、汚染土は原発地へ戻す案も可だったりしてね。