
月の周りがフレアみたいになって、綺麗でした。
--------------------
(前回の続き)

渋谷 ザ・ミュージアムで開催中の「オットー・ネーベル展」。
ドイツ出身の前衛芸術家で、
ナチス台頭後にスイスのベルンへ逃れ、生涯を送った人。
今回の展覧会を観て、私なりに一言であらわすと
「伝わりにくい人」だ。
例えば

左がネーベル、右がヴァシリー・カンディンスキー。
……似ている……(素人の感想です)。
こちらの作品も

パウル・クレーやカンディンスキー、ホアン・ミロあたりを
知っている人だと、既視感があるのでは。
では、何が決定的に違うのかというと、
これは館内に流れていた解説ビデオの受け売りですが、

ネーベルの絵はまるで地層のように、線や点が同じ場所に
塗り重ねられていて、
(この写真ではわかりませんが、実物は)とても分厚く、凹凸がはっきりしていて
てかてかしている。

対するパウル・クレーは、色遣いにまず目がいくが、
基本的に「線」を重視しており、かつ
わざと紙にしわを寄せたり、汚したりといった
テクスチャを工夫した作品が多い。
そもそも、私はオットー・ネーベルといえば
カンディンスキーやクレーと同年代、だと長い間思い込んでいたが
実は一回り以上年下で、
どちらかといえばシャガールと同年代の人だった。
これは、ネーベルがとても若いごろ、
1910年代に興った「シュトルム(嵐)」という前衛芸術運動に
参加しており、そのときの記録を
私が何かの展覧会で観ていたための勘違いだったようだ。
言い訳になってしまうけれど、これも
ネーベルの立ち位置が今ひとつ「伝わりにくい」一つのエピソードかも知れない。
とはいえ、
ネーベルが彼ら年上の芸術家と友情を育み
大いなる影響を受けたことに変わりなく、
「建築」「音楽」「抽象」といった
カンディンスキーをはじめバウハウスの教授陣が追求していた
テーマを、ネーベルもなぞっている。
それ以前に、第一次世界大戦で30代で戦死した
フランツ・マルクにも大きな影響、衝撃を受けており、
私は今までに観た近代美術展で、たびたび彼の名前を目にすることから、
(もしマルクが戦死せず長生きしていたら、もっともっと
後世に名を残したろうに……)と
思わずにいられない。
そんな中、ネーベルに特徴的な実績の一つに挙げられるのが

イタリアのカラーチャート。
イタリアの各都市を巡り、その都市を象徴すると思われる
色彩をチャート化したもので、
左がナポリ、右がボンベイ。
ネーベルはとにかく几帳面だったようで、
一つの作品にいくつ「点描」を描いたか、数を把握していたり、
晩年はすべての自分の作品の目録を手書きで遺していたり、
5mm四方の中に、(先述のとおり)何本もの線や点を描き入れ
埋め尽くしたり、
でもその几帳面さは、印刷物になると本当に「伝わりにくい」。
興味のある方は、ぜひ図録などではなく、展覧会で実物を
観ていただきたいと思います。
……というわけで
私はどうしてもカンディンスキーやクレーの“バイアス”がかかってしまい
(つまり、「どこかで観たことがある」の連続になってしまい)
今一つ、心揺さぶられるものがなかったのだけど(すみません)、
一枚だけ、二度、三度と見返すために順路を戻った絵がある。
それが、ブログのタイトルにしたこちら。

『聖母の月とともに』
1931年、イタリアのカラーチャート制作前の作品。
ドイツが不穏が空気に包まれつつあったこの時代に
この街の人たちはどんな思いで暮らしていたのか、
そして、ネーベル自身はどんな心持ちでいたのか、
まだ平和だったのか、それともすでに緊張感があったのか。
ちなみに
1962年、ネーベル晩年の作品。

『近東シリーズより ミコノス』
同じ様に、街をテーマにした作品だけれど、
画家のまなざしはこんなにも変わっている。
二度の大戦を経て、スイスでは不自由な生活を余儀なくされ
それでも(カンディンスキーらの尽力があり)
米国中心に作品が知られ、作品を管理する財団も設立されて。
亡くなる直前まで現役で絵筆をとりつづけたそう。
晩年は、思うように過ごせたのかな、そうであったらいいな。
オットー・ネーベルの経歴や作品の特徴は、
公式サイトの「展覧会」のページに
非常にわかりやすくまとめられています。→コチラ