「〇〇園芸」と書かれた昭和なたたずまいの
昔よくあった駄菓子屋さんくらいのこじんまりしたお店があり
でも、花木が置いてあるわけでもなく
それどころか、営業している様子もなく
ガラスの引き戸越しに見える店内には、刃物のような、工具のような
金物が無造作に並び、
どうも園芸は園芸でも、園芸用品のお店のよう。
そんなお店の軒先に
包丁とぎます。包丁300円 はさみ500円
と書かれたボール紙(!)が貼ってあるのを
私は越してきた当初から気に留めていて
うちの包丁も近いうちに一度、プロに研いでもらおう、と。
それで先日、思い立って包丁を包み、出向いたら
そのボール紙がなくなっていて
店内も暗く、営業している様子がなくて
勝手口のようなところにピンポンがあったので押してみたら
何となく奥から気配がして
80歳は越えているように見えるおじいちゃんが、店の中からこちらを見ていた。
「あのう、すみませーん」と外から声をかけたら
ようやく、ゆっくりした足取りで出てきて
「あのう、包丁とぎをお願いしたくて……」ご主人、表情なく
「ああ、体悪くしちゃって、今やっていないんだ」
「あっ、そうだったんですね」
「でも、もってきたんなら、やるよ」
「えっ、す、すみません」
―お代は? 200円。あとでいいよ。
—どのくらいかかります? 15分くらい。
「じゃ、駅前でちょっと用事済ませてきます」
というわけで。
そこから5分程度先の駅前で買い物をしたりして
再び、その店へ。
「すみませーん」店内で椅子に座っていたご主人に声をかけたら
ん? 何? とけげんな顔でこちらをじろっと見たので
「あの、先ほどの…」
「何?」
先ほど店を出てから、15~20分しか経っていない。
そしてこのときの私は、青い帽子に青いシースルーのスカーフ
派手ではないけど明るい青系で統一した、割と目立つ外見だった。だから
声をかければ、ああ、さっきの、と、
すぐ包丁が出てくると思っていた私はうろたえ
「包丁とぎをお願いした……」
「包丁? もってきたの?ならとぐよ」
ますますかみ合わない。
「えっと、さっき私がもってきた……」
「包丁? ここにあるよ」
ご主人は表情ひとつ変えず、目の前のテーブルを指さす。
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このイメージ写真のように、きっちり包まれた包丁が。
ほっとして、200円を渡そうとすると
「これ、何?」
「あ、あの、代金……」
そう言っても、「ああ、そうだった」でも「忘れていた」でもなく
何も言わず無表情のご主人の手のひらに
100円玉を2枚のせて、ありがとうございました、と後にしたけれど
ご主人は座ったまま、自分の手のひらを見つめるばかり。
でも
帰宅して丁寧に包まれた厚紙をはずし、切れ味を試したら
丁寧に研いだあとがあり、よく切れるようになっていました。
私は、この方のことは何もわからないけれど
この方は、具合が悪い自覚があって、自分の意志で、仕事をやめたのか
だとしたら、辛かったかも知れないが賢明だったなあと。
それとも家族がいて、家族がやめさせたのか
だとしたら、家族の方は辛かったかも知れないが賢明だったなあと。
そしてこれからの日本は
やめる決断力、あきらめる決断力が評価される
時代になっていくのだと思います。