竹橋にある国立近代美術館に寄ってみた。
2階オープンテラスからの眺め。
お目当ては、コチラ。
今、同美術館所蔵の藤田嗣治(レオナール・フジタ)の全作品が
公開されており、
一目、観ておきたいと思ったのだ。
藤田嗣治といえば、
1920年代のパリで時代の寵児と呼ばれた画家。
こうした乳白色の、陶器のような色の肌の描写は
彼の画風を象徴する。
で、特に事前知識のなかったワタシは、
こうした絵がたくさん観られるのかなーなんて思っていたら
近代美術館所蔵の作品の大多数は
戦争画だった…。
第二次世界大戦が勃発した翌年
こんな作品が描かれている。
これは戦争画のジャンルには入らないけれど、
たくさんの猫が無秩序にひしめき戯れている様子は
明らかに、「争い」を想起させる。
戦火にさらされるパリを逃れ
日本に帰国した藤田は、従軍画家として南方戦線に派遣され、
たくさんの、大きな号数の絵を遺した。
人さまのブログで、藤田はパリ時代に、日本人であることを誇りに思い、
日本に恩返しをしたく、こうした職に就いた、といったことが
書いてあったが、
そのあたりはさまざまある説の一つらしい。
本当のところは、よくわかっていないよう。
こういった作品や…
こういった作品が…
フロアにずらっと並べられていると
陰鬱な気分にならざるを得ない。
安保の動向で今、国内がざわついているだけに
改めて、戦争って何だろう、何のために、と
考え込んでしまう。
と同時に、テクニカルな面で興味を惹いたのは、
非常にドラマチックな構図をとっていることだ。
私のような、美術の専門知識はさしてない者でも、
これらの絵がドラクロワやジェリコーの構図を意識していることは
一目でわかった。
(ロマン派の絵画に少しでも興味がある人なら、すぐわかります)
左がドラクロワ、右がジェリコー。
大雑把に言ってしまうと、
人物が大勢ひしめきあっていて、
中央に見せ場があって
背景は抜かれていて
遠景のみ描かれている。 そんな感じ。
要するに、戦争画は
百聞は一見にしかず、ではないけれど、
世間に対するプロパガンダ的な役割もあり、
いかに勇敢に戦っているかをドラマチックに表現することで
(たとえ玉砕であっても)
民衆の士気を高める、そんな風に“利用”されていたのだ。
どの絵だったか、
藤田嗣治は同じテーマで2枚の戦争画を描き、
勇ましく戦っている絵をおおやけにして、
死体が重なり合っている凄惨な絵を、依頼主にこっそり渡した、
なんてエピソードも。
従軍画家の立場であっても、戦争に対しては冷めた、皮肉をこめた目で
見ていた、、、と美術館の作品解説に書いてあった。
しかも。
終戦後、ほかの画家たちに、
戦争責任を画家の代表としてとってくれ(!)と迫られたそうで
どうかわしたのかはわからないが、
もう日本にはいられない!ということでパリに戻り、
国籍を変えてしまう。
私は今まで、藤田に対して、
パリでの奔放な振る舞いや、何度も結婚-離婚を繰り返すなど
どちらかといえば周囲を振り回す人生を送った人、という
イメージが強かったのだけれど、
それ以上に、時代に振り回された人だったんだなあ…と、
今回の展示を観て、同情の念さえ起こってしまった。
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と、こんな感じで
ブログ記事を書こうとしていた、今日。
アンティーク着物の蒐集家・研究家である
永本ツカサさんから、
私が3年半前に書いた、
同氏監修の展示会の感想記事に対してコメントをいただいた。
このときの展示-着物に咲いたモダニズム展でも、
戦時日本の、華美をよしとしない風潮の下、
真っ黒に塗りつぶされた薔薇の帯など、時代を象徴する
作品が心を打った。
今回の藤田嗣治の展示を観た直後に、
永本さんからコメントをいただき、
改めてその時の記事を読み返すことができた、というのは、
何かの巡り合わせなのではと
思わずにいられなかった。
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