この空!

この少し前にアップした、今の住まい近くの空も
青かったけれど、
この開放感は北関東ならでは、かも……。
------------------------------------------------------------------------
ここからは、もうすぐ82歳になる父にまつわる
少しほろ苦いお話しです。
やや長々とした説明を要するので、ご興味のある方だけどうぞ。
“事件”が起こったのは大晦日の昼のことでした。
弟と私は午前中に

隣町の「道の駅」へ買い物に行こう!ということになり
昼までには戻るから
「じゃ、昼ご飯用にお弁当を買って帰るね」と父に伝え、出かけたのです。
このあたりは焼きそばが名物なので
弟と私は
塩焼きそば、肉焼きそばなど何種類か選び、帰途につきました。
ところが。
「ただいまー!」
家に着き、台所に行ってびっくり。

毎年、夜に用意する年越し蕎麦が、どんぶりにたっぷり、ゆであがっているではありませんか。
「えっ? なんでお蕎麦? お弁当買ってきちゃったよ」
問うてみたところ、父がもごもごと
「いやー、テレビ見てたら、みなが年越し蕎麦を美味しそうに食べてたんで、
昼食べてもいいかな、と思って」
……。
そうしたいなら、電話一本欲しかった…。
私にもそういう傾向はあるので、あまり強く言えませんが、
父は飄々としている割には無口で、こうと決めたことを周囲に言わずにやってしまう性質。
買ってきたものが、もし「焼きそば」ではなく、ごく普通のご飯入りのお弁当だったら
お腹いっぱいになるでしょうけれど、茹でてしまったそばも一緒に
食べられたかも知れません。
しかし、いくらなんでも
焼きそばと日本そばは一緒に食べられない。
弟と私はまだ温かい焼きそばのパックを指さし
「こっち食べようよ!」
「そうだよ、年越しそばは(いつも通り)夜、食べよう」と
父が茹でた、たっぷり3人前あるそばを冷蔵庫に入れてしまいました。
しかし、夜になって……。
その日のメニューは
前から予定していたかに鍋。
父が
「この鍋に蕎麦入れて食べようか」と言うところを
「いやいやいや」と子ども二人で制し
「やっぱ、かに鍋の〆はご飯でしょう!」と、雑炊をつくって食べたのです。
結局、お蕎麦には箸がつかず……。
そして元日。
もう私の頭から蕎麦のことはすっかり抜けてしまい、
お雑煮だ、お節だ、と予定通りの食卓で、すっかりお腹もいっぱいになって。

丸一日たった元日の夜、晩ご飯をつくる段になって
「これ、もうだめだよね。捨てよう」
父が、ずっとコンロのわきに置いてあった、小ぶりの片手鍋のふたをとりました。
そこには……。
豚肉や白菜、キノコ類などの入った「つゆ」が。
私は、父がそれをどぼどぼと流しに捨てた直後、ようやく、はっと気づいたのです。
父は大晦日の昼、単に蕎麦を茹でただけではなく、
蕎麦用のつけ汁も手作りしていたんだ、……ということに。
しかも、鶏肉が少し苦手だという弟のことを思い、豚肉を使って……。
それなら自分から
「いや、つゆもわざわざ手作りしたから、食べようよ」とか、
タイミングをみはからって言えばよかったのに、
……ここまで読んで、そう思った人はたくさんいらっしゃるでしょう。
でも、もともと父はそういう性格ではないうえ
もしかしたら、「年越しそばを昼に食べるなんて!」と
子どもたちに言われ、しゅんとなって、何も言い出せなくなってしまった、
とも考えられます。
別にこのことで、ぎくしゃくしたりはなかったのですが
なんとも後味の悪さがしばらく、私の中に残りました。
父には父の考えがあり、世界があることを
昔よりももっと、考慮し汲み取ってあげなければならないのではないか
そう思ったのです。
もともと無口な上、言葉が出にくく
口調もゆっくりになってしまった父、だからこそ
私は自分の判断でせっかちに、話を理解したつもりになっていて
その結果、父を傷つけることになっていないか、と。
(実際、私は職業柄、取材相手の話を短時間で理解する必要があり
それがうまくはまるときはいいのですが、ときどき“早とちり”も……)
人生のゴールが近くなってから、プライドとか尊厳が損なわれたと思わせるような
経験はできるだけさせたくない。
今回のことで一層、そんな思いが強まりましたし
反省するいい機会になりました。