徒然草も一通り読み終えました。文全体の量はそれほどでもないのですが、現代語訳、語釈、と解説の方が何倍もあります。これらを読まずに意味が解るようにならないとダメでしょうね。高校生の頃なら古文の勉強の最中ですから、もっと楽に読めたかもしれません。
また、読めるまで生きているだろうか?と、しんみり想います。
第百八十八段「ある者、子を法師になして」の一節
一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るるをもいたむべからず。人の嘲りをも恥づべからず。万事にかへずしては、一の大事成るべからず。
「一心不乱、一事に専念せよ」ってことでしょうか?
第百九十三段「くらき人の、人をはかりて」
くらき人の、人をはかりて、その智を知れりと思はん、さらに当るべからず。
つたなき人の、碁打つ事ばかりにさとく、巧みなるは、賢き人の、この芸におろかなるを見て、己が智に及ばずと定めて、よろづの道の匠、我が道を人の知らざるを見て、己すぐれたりと思はん事、大いなる誤りなるべし。文字の法師、暗証の禅師、たがひにはかりて、己にしかずと思へる、ともに当らず。
己が境界にあらざるものをば、争うべからず、是非すべからず。
「人を侮るべからず」、「自ら奢るべからず」ってことでしょうか?自戒あるのみ
それにしても、「徒然草」は吉田兼好の知的嗜好、情的嗜好による独断と偏見(悪い意味ではないですよ)に満ちた人生訓ですな
徒然草も終わりに近づきました、あと少し。
以下もいろいろな文の中で良く引用される有名な一節です。
第百六十四段「世の人あひ会う時」
世の人あひ会う時、暫くも黙止する事なし。必ず言葉あり。その事を聞くに、多くは無益の談なり。世間の浮説、人の是非、自他のために失多く、得少なし。これを語る時、互ひの心に無益の事なりといふ事を知らず
人間というものは本当に口を噤んでいられない生き物ですからねぇ~。「知っていて、知らぬふりをしてはならぬ事と、知らぬふりをしなければならない事」「解っていて、解っていることを悟られてはならぬ事、解っていなくても、解っているふりをしなければならぬ事」など、兎角この世は難しい。
第百七十段「さしたる事なくて」
さしたる事なくて人のがり行くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、その事果てなば、とく帰るべし。久しく居たる、いとむつかし。
人と向ひたれば、詞多く、身もくたびれ、心もしづかならず。よろづの事さはりて時を移す、互ひのために益なし。いとはしげに言はんもわろし。心づきなき事あらん折は、なかなかそのよしをも言ひてん。同じ心に向はまほしく思はん人の、つれづれにて、「いましばし、今日は心しづかに」など言はんは、この限りにはあらざるべし。阮籍が青き眼、誰もあるべきことなり。
その時となきに人の来りて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。また、文も、「久しく聞えさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれし。
確かに、人の家を訪ねるという事は、いろいろ難しい問題がありますネ。
講談社学術文庫版「徒然草」も最終第4巻に入りました。
第百十三段「四十にも余りぬる人の」の一節
おほかた、聞きにくく見苦しき事、老人の若き人に交はりて、興あらんと物言ひゐたる。数ならぬ身にて、世の覚えある人を、隔てなきさまに言ひたる。貧しき所に、酒宴好み、客人に饗応せんときらめきたる。
これは、年老いてゆく者としては、心がけねばならない嗜みです。
第百十七段「友とするにわろき者」
友とするにわろき者、七つあり。一つには高くやんごとなき人。二つには若き人。三つには病なく身強き人。四つには酒を好む人。五つにはたけく勇める兵。六つには虚言する人。七つには欲深き人
よき友三つあり。一つには物くるる人。二つには医師。三つには智恵ある人。
上の一節はよく納得できるが、下の一節はいまいち首を傾げる。
第百三十七段「花はさかりに、月はくまなくに」の一節
花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあわれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所多けれ
また一節
よろづの事も、始め終りこそをかしけれ。男女の情も、ひとへに逢ひ見るをばいふものかは。逢はで止みにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明かし、遠き雲井を思ひやり、浅茅が原に昔をしのぶこそ、色好むとはいはめ。
上の一節は夙に有名。