吉田松陰の言葉で有名なものがまだあります。それは
但だ事を論ずるには、当に己の地、己の身より見を起こすべし
という言葉です
これは安政三年五月に、久坂玄瑞が吉田松陰に宛てた書簡の中で展開した即刻斬夷論に対する反論として、玄瑞を戒めたものです。
・・・・・天下為すべからざるの地なく、為すべからざるの身なし。但だ事を論ずるには、当に己の地、己の身より見を起こすべし、乃ち着実と為す。故に見将軍の地に居らば、当に将軍より起こすべし。身大名の地に居らば、当に大名より起こすべし。百姓は百姓より起こし、乞食は乞食より起こす、豈に地を離れて身を離れて、之を論ぜんや。今吾兄は医者なり、当に医者より起こすべし。寅二は囚徒なり、当に囚徒より起こすべし。必ずや利害心に断ち、死生念に忘れ、国のみ、君のみ、父のみ。家と身とを忘れ、然る後家族之に化し、朋友之に化し、郷党之に化し、上は君に孚(まこと)とせられ、下は民に信ぜらる。ここに於いてか、将軍為すべきなり、大名為すべきなり、百姓乞食も為すべきなり、乃ち医者囚徒に至るまで、為すべからざる者あるなし。是れを之れ論ぜずして、傲然天下の大計を以て言を為す、口焦げ唇爛るとも、吾れ其の裨益あるを知らざるなり。謂ふ所の議論の浮泛とはこれなり。・・・・・
「ことを論じようとするならば、自分の置かれた立場から、自分自身のことから、考え始めるべきだ。そうしてこそ、初めて他を感化し、他に信用され、物事を為し得るのである」とでも解釈すればよいのでしょうか
やがて松陰は自らの思想信念に忠実であるが故に、若さに因るとしか言い様のない稚拙な行動によって死への轍を辿り始めます。生き急ぐかのように、過激な言動をとるようになる松陰を諌め戸惑う弟子たちに、「僕は忠義をなすつもり。諸君は功業をなすつもり。」と言って行動します。その失敗からの思索は、若き晩年の草莽崛起の論へとつながっていきます。
名残の椿も次から次へと、花開いて散っていきます
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