徒然草の文庫本2冊目に入っています。読んでゆくにつれて、けっこうどこかで目にした一節に出会います...
これも、そのひとつです。
第七十三段「世に語り伝ふる事」の中の一節
「かつあらわるるをもかえりみず、口にまかせて言い散らすは、やがて浮きたることと聞ゆ。また、我もまことしからずは思ひながら、人の言ひしままに、鼻のほどおごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。げにげにしく所々うちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、つまづま合わせて語る虚言は、恐しき事なり。わがため面目あるように言はれぬる虚言は、人いたくあらがわず。皆人の興ずる虚言は、ひとり「さもなかりしものを」と言はんも詮なくて、聞きゐたるほどに、証人にさへなされて、いとど定まりぬべし。」
嘘の種類を列挙して、まったく今に通じる。
今、徒然草を読んでいます。本文と解説と交互に読みながらですが...
高校時代、受験勉強のためとはいえ、あれほどまで勉強したのに、今は古語文法を忘れてしまっているのは哀しいことです。
第七十一段「名を聞くより、やがて面影は」の中の一節。
また、いかなる折ぞ、ただいま人の云う事も、目に見ゆる物も、わが心のうちも、かかる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思い出でねども、まさしくありしここちのするは、我ばかりかく思うにや。
これはDeja vu(既視感)のことをいっているのではないか。解説ではParamnesia(記憶錯誤)といっているけど...
この時代の人が書き残していること自体珍しく、驚きとともに興味深かった。