古代の日本海ネットワークを考える上で、タニワの存在が不思議でなりません。
弥生時代のタニワには目を見張る遺跡が多く存在します。
京丹後市の奈具岡遺跡は弥生中期の玉造工房遺跡です。
原石から製品まで一貫した玉作りが行われ、緑色凝灰岩や水晶の玉とともに中国や朝鮮半島から入ってきたと考えられる大量の鉄製工具類、鉄器生産の鍛冶炉なども見つかっています。
伴とし子氏は、弥生中期に北部九州を凌駕する技術力が丹波に存在していたと指摘されています。
大風呂敷1号墳からは弥生時代後期後半の透明度の高い青いガラス製の腕輪が完形で出土しています。その美しさたるや!
中国産のカリガラス製である可能性が高いそうで、鉄で発色したカリガラス製品は国内では大変珍しいものだそう。
また一つの埋葬施設から11本もの鉄剣が出土しているといいます。
京丹後市の赤坂今井墳丘墓は、弥生時代後期末の方形墓としては全国最大級の大きさです。
1つの柩から約600個ものガラス玉が出土し、ガラス玉には当時の中国の顔料「漢青」が使用されています。
碧玉製管玉と緑色のガラス製勾玉で装飾された冠様の頭飾りが出土したことで有名です。
伴とし子氏の言う通りタニワには多くのガラスや鉄剣など、巨万の富を得た勢力があったと思われます。
タニワの遺跡から想像できるのは九州、そして朝鮮半島まで広く交易していた首長、クニの姿です。
このタニワが出雲を飛ばして九州と繋がっていたなんてことはあるのでしょうか。
四隅突出型墳丘墓がタニワを飛ばして越に造られていることから、タニワは出雲との交流が少なかったとの説がありますが。
当時の航海はいわゆる沖乗りではなく地乗り航法だったのではないのでしょうか。
地乗りで陸を見ながら航海していく中で、出雲を飛ばして九州へ?
なかなか私の頭では想像できない話です。
想像が難しいことはもうひとつ。
多次元同時存在の法則も私には理解が及びません(TT)