穴師坐兵主神社は、崇神天皇の御代に巻向穴師山に倭姫によって祀られたとされる古社です。
現在は穴師坐兵主神社(上社)、巻向坐若御魂神社、穴師大兵主神社(下社)が合祀されています。
古くからその祭神には諸説があり、謎だらけの神社です。
「大倭本紀」に
天皇始めて天降り来まし時、斎鏡三面と子鈴一合を副え護らせた
1つの鏡は天照大神の御魂で天懸大神といい、1つの鏡は天照大神の前御魂で日前国懸神宮の国懸大神である
また1つの鏡と子鈴は天皇の御食津神として巻向穴師社に祀った
というような記述があります。
どう考えても重要な神社です。
巻向坐若御魂神社の祭神は稲田姫説、和久産巣日神説などがありますが、勾玉と鈴を御神体とするそうです。
この鈴が天降りの「子鈴」なのでしょうか?
稲田姫は越の姫君の可能性もあり、勾玉をご神体とすることは肯けます。
玉作と銅鐸の勢力が同一であるならば、若御魂神社にある鈴こそが「子鈴」と考えてよいのでしょうか。
鈴とは「鐸」なのでしょうか?銅鐸?鉄鐸?
それとも下社の祭神は一説には天鈿女命とされますので、天鈿女命が天岩戸前で日神を招くのに使った「鐸つけたる矛」が「子鈴」なのでしょうか。
平安末期の文書とされる「大倭社注進状裏書」によれば、下社の御祭神は天鈿女命、御神体は「鈴之矛」とされているそうなのです。
現在の下社のご神体は剣(ほこ)。剣とありますが、これが我々が思う「矛」であり、鈴(鐸)がついているのでしょうか?
私には物部氏の十種神宝の剣の絵も 柄のない飾り矛 に見えるんです。
その昔、剣とホコってきっちりと分類されていなかったなんてことはあり得ますか?