古代四方山話

古代について日頃疑問に思っていること、思いついたことを徒然なるままに綴ってみたいと思っています

物部守屋と信濃国 1

2021-03-11 10:57:16 | 歴史

記紀の真の主導者が藤原不比等と考えられるにもかかわらず、藤原氏の始祖である鎌足の出自が未だ判明していません。

「大鏡」を信用した説では鎌足は常陸の中臣氏の家に生まれ、中央宮廷の祭祀に関与する中央中臣家に身を寄せたとされています。

 

この地方に生まれて中央に身を寄せるパターン、ひょっとして物部守屋にもあてはまらないでしょうか。

信濃の洩矢神を祀る物部氏の家に生まれた守屋が、中央宮廷の祭祀に関与する中央物部家に身を寄せたと。

中央に出るにあたって洩矢神を祀る物部としての誇りをもって物部守屋を名乗り、中央で活躍したと。

もっとも守屋は大連物部尾輿の子であり、母は弓削氏の阿佐姫と伝えられていますが。

 

物部氏の祀る石上神宮の神戸八十戸のうち、信濃国が五十戸と突出していることを大和岩雄氏が調査しています。

石上神宮のある大和における神戸は二十戸です。まあ大和にはたくさんの豪族がいますから単純に比較はできませんが。

物部氏は信濃と強い繋がりがあったと推測できます。

また大岩岩雄氏は河内の磯長谷と信濃の関係をも指摘しています。

物部とは「もののふ」であり、また「もののけ」を祀る者なのでしょう。

馬の飼育の為だかどうだかは不明ですが、信濃に進出した物部氏は土着の洩矢神を祀ったのでは?

守屋が戦いに破れ、一族は東北・出雲・四国・九州へと散り散りに逃げた、

その中で守屋の次男、武麿が諏訪大社上社神長官、守矢氏の養子となったのだといわれますが、さて本当のところはどうなのでしょう。

 

埼玉の稲荷山古墳や熊本の江田船山古墳から考えるに、ワカタケル王の時代には既に地方の豪族たちが大和に出向いて朝廷に仕えるしくみが出来上がっていたように見受けられます。

その伝でいくと、中臣氏や物部氏といった祭祀氏族も地方から大和に出向くシステムがあっても良いように思うのです。


七枝刀

2021-03-09 10:53:33 | 歴史

国懸神宮の御神体の鏡が銅鐸かどうかというのはさておき、神事に使用される剣とホコがきちんと分類されていなかったのではないかについては、本当にそう疑っています。

石上神宮に伝世する国宝「七枝刀」は、かつて「六叉鉾」と呼ばれていました。

七枝刀は石上神宮の神剣渡御祭の際、木枠に納め金綿の袋を被せた状態で神剣の代わりとして明治以前は用いられてきました。

刀の代理品なのですから、刀と認識されていたはず。

しかし銘文が見つかるまでは「刀」が「ホコ」と呼ばれてきているようなのです。

刀とホコの境界が曖昧だったら、刀と鎌の境界も曖昧でいいのではないか、薙鎌がサナキの剣でも などと どんどん古代妄想の沼へ・・・いけない、いけない!

 

七枝刀は6本の枝刀を持つ特殊な形の鉄剣です。

このような刀、東アジアのどこを見渡しても見当たりません。

類似品のないこの刀は、一体どこでどのように作られたのでしょうか。

七枝刀には61文字の銘文が刻まれています。

銘文の全容は未だ解明されておりませんが「369年に作られたもので百済王が倭国王に贈った」ことが刻まれているというのが、日本側の学者の定説となっています。

日本書紀によると神功皇后は百済から「七子鏡」と「七枝刀」の献上をうけています。

刀の銘文には「七支刀」の文字が刻まれており、この刀こそが神功皇后が百済から贈られた「七枝刀」であると考えられています。

技術的には象嵌の金が剥落していたりすることから、朝鮮半島で作られたという説が有力なよう。

 

七枝刀とともに贈られた七子鏡は、ボストン美術館所蔵の丸い突起が同心円上に七つある銅鏡がそれではないかとする説があるようです。

しかしこの鏡だと類例があり、刀だけ類例がないような突飛なものを作ったというのでしょうか?

どこかから「子」とはそういうことか!と思える、奇抜な鏡、出ませんかね~


穴師坐兵主神社の神宝 2

2021-03-07 10:32:37 | 歴史

さて上社、穴師坐兵主神社のご祭神は「大倭社注進状裏書」によると御食津神。

しかし御神体は「日矛」であると記されています。

武神に相応しいと思われる矛が御食津神の御神体なのも違和感がありますね。

こちらのご祭神、アメノヒボコを祭神とする説もありか…と考えてしまいます。

 

でも下社の御神体が「鈴之矛」でイコール子鈴で、上社の御神体が「日矛」であるなら、天降りの「鏡」はいずこへ?

まあ現在の上社の御神体が「鏡」とされますので、上社に天降りの鏡があると解釈すべきなのでしょうが。

穴師の神も祭器も情報がかなり錯綜してしまっているようです。

御食津神や天鈿女命、稲田姫が祭神であるならば、何故「兵主」神社なのかとなります。

そもそものところになりますが「兵主神」自体、どういう神様であるか諸説ありすぎて・・・

 

皆神山すき氏は「巻向穴師社に祀られたとされる護斎鏡一面と子鈴のうち、鏡はどうやら上社の神体のいわゆる日矛であり、子鈴は下社の神体の「鈴之矛」、つまり矛につける子鈴のことらしい」との推測をされています。

鏡が日矛!!

ほ~うっ!!

だったら一緒に天降りしたとされる日前国懸神宮・国懸大神の「鏡」も、鏡ではなく銅鐸と考えても構いませんか??

私は 懸ける神 は銅鐸神とみたいのですが。

鏡とされる国懸大神を銅鐸神とみたいのですが。

いやいや、そんな訳ないかぁ・・・

自分に都合のよい情報のみを採用して、無理やり話を仕立ててはいけませんね ( ;∀;)


穴師坐兵主神社の神宝 1

2021-03-05 17:48:03 | 歴史

穴師坐兵主神社は、崇神天皇の御代に巻向穴師山に倭姫によって祀られたとされる古社です。

現在は穴師坐兵主神社(上社)、巻向坐若御魂神社、穴師大兵主神社(下社)が合祀されています。

古くからその祭神には諸説があり、謎だらけの神社です。

 

「大倭本紀」に

  天皇始めて天降り来まし時、斎鏡三面と子鈴一合を副え護らせた

  1つの鏡は天照大神の御魂で天懸大神といい、1つの鏡は天照大神の前御魂で日前国懸神宮の国懸大神である

  また1つの鏡と子鈴は天皇の御食津神として巻向穴師社に祀った

というような記述があります。

どう考えても重要な神社です。

 

巻向坐若御魂神社の祭神は稲田姫説、和久産巣日神説などがありますが、勾玉と鈴を御神体とするそうです。

この鈴が天降りの「子鈴」なのでしょうか?

稲田姫は越の姫君の可能性もあり、勾玉をご神体とすることは肯けます。

玉作と銅鐸の勢力が同一であるならば、若御魂神社にある鈴こそが「子鈴」と考えてよいのでしょうか。

鈴とは「鐸」なのでしょうか?銅鐸?鉄鐸?

 

それとも下社の祭神は一説には天鈿女命とされますので、天鈿女命が天岩戸前で日神を招くのに使った「鐸つけたる矛」が「子鈴」なのでしょうか。

平安末期の文書とされる「大倭社注進状裏書」によれば、下社の御祭神は天鈿女命、御神体は「鈴之矛」とされているそうなのです。

現在の下社のご神体は剣(ほこ)。剣とありますが、これが我々が思う「矛」であり、鈴(鐸)がついているのでしょうか?

私には物部氏の十種神宝の剣の絵も 柄のない飾り矛 に見えるんです。

その昔、剣とホコってきっちりと分類されていなかったなんてことはあり得ますか?


かごめ かごめ

2021-03-03 19:07:47 | 歴史

地図を眺めていて、また妄想に捉われました。ええそうですとも、今日もくだらない妄想話です (^o^;)

私がずっと気になっている「八幡大井、住吉、諏訪は同体」を頭に置きながら地図を眺めておりました。

今さらながら「あれ?諏訪大社と宇佐神宮の間に松尾大社があるんだ」と気づきました。

一直線とまではいきません。でも妄想をかきたてられる並びです。

 

諏訪の神使は鶴だったな、松尾大社って亀だったな。鶴亀か、そりゃめでたい。

ツルカメ!?

宇佐神宮がここだということはもしかして・・・

・・やっぱりありました。諏訪大社、松尾大社、宇佐神宮の延長線上に大分県日田郡「夜明」が。

これって「かごめ唄」!?

 

かごめ=籠目とすれば当然連想されるのが丹後国一宮・籠神社です。

     籠の中の鳥はいついつでやる・・・

羽衣伝説のある地です。籠の中の鳥とは「豊受大神」でしょうか。

宇佐神宮があるのは「豊の国」ですしね。比売大神ですしね。

 

     夜明けの晩に鶴と亀がつーべった・・・

これまでは夜明の晩については7月7日午前一時、七夕神事が行われる時間帯であるという説が良いのかと思っていましたが、日田の「夜明」で晩に鶴と亀による密談が行われたと考えるのが俄然面白いと思えてきました。

大分の日田には3世紀末から4世紀初頭の日本最古の豪族居館跡が出た小迫辻原遺跡があります。

この遺跡からは畿内と山陰の祭祀用と思われる土器が数多く出土しています。

ツルカメを神社に当てはめるなら鶴は皇大神宮別宮 伊雑宮、亀は籠神社とする説が多いでしょうか。

でも私の基準では面白いか面白くないかが重視されますので(!)、亀を籠神社そのものというより、別に当てはめるほうが面白いかな。

同じく丹後の浦嶋は助けた亀に連れられて竜宮行くので、亀とは丹後の勢力ではないほうが面白いように思うのです。

 

鶴を諏訪大社、亀を松尾大社として、諏訪の勢力と秦氏が統べったと。

諏訪勢力と秦氏が「豊」の国の姫を籠神社に封じ込めた? 

そういえば諏訪とも関係が深い物部氏の物部神社の神紋も鶴で、祭神が鶴に乗ってやって来たと言われていたな・・・

 

では後ろの正面とは一体誰??

ちなみに諏訪大社側の延長線上にあるのはツツコワケ神社…

諏訪大社、松尾大社、宇佐八幡、籠神社、伊勢神宮とくれば、ユダヤ?

う~ん (  -_・)?