かりめろのゆったりのんびりライフ

主婦兼ライターのかりめろです♪中村吉右衛門さん、パーヴォ・ヤルヴィさんが好きです。お気軽にお立ち寄りくださいね。

資料集めに没頭♪

2017-03-26 | お仕事ネタ
いろいろただいま、次の論文、近松半二論にむけて
資料集めをしています

歌舞伎の研究本となると、
かなり古い本が多くて、
旧字体だったり、古文をひたすら
読み解くものが多いのですが、
おかげさまで、だいぶ読み慣れてきました。

あと、意外な落とし穴は、
わたしたちはどうしても日本史を
西暦でおぼえてしまっているので、
それでとらえがちですけれども、
当然ですが、明治になるまで、
日本は元号だったわけです。
なので、その元号で、作品の歴史を
とらえなくてはなりません

一度、ちゃんと年表を作らなくちゃと
おもっています

近松半二というひとは、1725年(享保10年)、
近松門左衛門の死後にうまれたので、門左衛門に
あこがれ、「近松半二(自分は門左衛門の半分にしか
いたらない、という意味ですね)」という
ペンネームを生み出しました

父・穂積以貫は儒者で、やはり
門左衛門を大変尊敬しており、
その浄瑠璃を愛読していたそうですね
そして、門左衛門がつかっていた硯(すずり)を
ゆずってもらうほどだったとか
よっぽど大好きだったのですね(^^)

この父の影響をうけて、
半二は浄瑠璃作者としての道を
あゆむわけです

半二の作品の特色としては、
いくつかあげられますが、
わたしもいくつか散見して魅せられたのは、
なんといっても、その舞台のスケールの大きさです

とくに「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)」や、
「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」、
「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」
「近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)」
「鎌倉三代記(かまくらさんだいき)」
といった作品は、雄大で、大胆な歴史感覚を
そなえており、半二の視点のゆたかさを感じさせ、
大好きな作品です

また、今月国立で上演している、
「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」も、
半二の最晩年の傑作です

ことに、「妹背山~」は、
きっちーさまと玉三郎さんの競演で話題となった、
昨年の秀山祭(しゅうざんんさい、と読みます)の
舞台「吉野川(文楽では「山の段」)」の中継を
きょうの21時から23時まで、NHKEテレでやりますので、
ぜひ、ごらんになってみることをおすすめします



舞台装置を上手(かみて、むかって右側)に背山、
下手(しもて、むかって左側)に妹山(いもやま)、と
配置し、ふたつの家のあるじ(大判事、定高)の
こころの葛藤とぶつかりあい、そして迎える悲劇と両家の和解を、
大きな吉野川の流れにゆだねる着想は、
本当に大胆ですばらしいといえます
文字通りの傑作ですね

そしてせりふの華麗さも、半二の場合
群をぬいてすばらしいです

たとえば大判事ですが、

「げにもっとも、嫁は大和(やまと)、
聟(むこ)は紀の国、妹背の山の中に落つる吉野の川の水盃、
桜の林大島台、めでとう祝言させましょうわい」

「せがれ清船うけたまわれ、
人間最期の一念によって、
輪廻(りんね)の生(しょう)を引くとかや、
忠義に死する汝が魂魄(こんぱく)、
君父(くんぷ)の影身に付き添うて、
朝敵(ちょうてき)退治の勝軍(かちいくさ)を、
草葉の蔭より見物せよ」

といった具合に、実に流麗かつ哀切を
おびたものとなっています

この一連のセリフをきいただけで
なけてきてしまう、かりめろです

というわけで、半二の魅力を
あますことなく伝える論文にしたいと
おもいます

がんばるぞ~




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。