犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

ここではないどこか。

2018年03月31日 | おせわがかり日誌


初夏顔負けの日が続き、ソファーカバーを洗濯した。


替えを敷くので、ふたつあるソファーのもうひとつのほうへ移動してくれる?というのを「おーちゃん、あのさ、こっちのソファ、これ敷きたいんだけど」というと『うん、わかった、いいわのよー』と言って、ひょいとひととび、犬が移動した。いつものことだけどオレコはすごい。


まいにち毎日、普通に、人に対するのと同じように、微細なことを伝えていたら、いつのまにか会話ができるようになっていた。
今度またほかの誰か(犬)と、こんな風になれるのかな?と考えることがあるが、オレコほどには無理かもしれない。そういえばこんちゃんも、痴呆になる前のごく短い間だったが、オレコと同程度には、コミュニケーションがとれていた。加えて気遣いというか、実に思慮深く奥床しいところがあり、この子はなかなか頭がいいな、と感心したものだった。



それが今は恍惚の犬となっている。
日がないちにちじゅう、ぼんやりとしていて、にんげんとも、犬とも、やりとりが減りつつある。
暴れるときなんていうのは、互いの目を見ても、私が誰か、分かっていない。赤の他人と思っているらしい。
でもごくたまに、ご褒美的感覚で、以前のこんちゃんが降臨する時間があって、そんな時は嬉しくて、幸せな気持ちになる。



こんちゃんの足腰は弱りに弱って、いつ寝たきりになってもおかしくないくらい。
二か月に一度通院しているので、そのたび主治医に確認してもらっているが、毎度毎度、ああ、筋肉がまた落ちていますね、と言われる。
ゆるい坂道を上り、下る。それを4本/日こなす。でも、現状維持にも至らない。
首は常に下がっており、地面に鼻先をこすってしまうので、リードは上↑に持ち上げるようにして持つ。
よれよれとしながらも、おともだちのおてがみを読むと白内障のにごったおめめがキラキラと輝く。
おどろきやら、興奮やら、部屋でおとなしく寝ていては味わえないよろこびが、五感や自律神経に、沁み渡る。
老犬とはいえ、散歩は重要だ。



そんなこんなで、彼は散歩のとき、へなへなすることがあって、そうすると、通りすがりに、ちょっと見の犬好き(なのかは疑問だが)の誰かから、
「あーあ、かわいそうに」
などの善意無垢の言葉の矢が放たれる。
その矢じりには黒い毒が仕込んであるので、イヤホンを装着し、無敵のダイアン・レイン(衣装はアルマーニ)になりきり、矢じりへし折りながら歩く春(マイケル・パレかっこいい)なのであった。



It's gonna be over (over)
Before you know it's begun
(Before you know it's begun)
It's all we really got tonight
Stop your crying hold on (tonight)
Before you know it it's gone (tonight)
Tonight is what it means to be young
Tonight is what it means to be young



こんちゃんほどのスターになると、ひとたび散歩にくり出せば、ほぼ100%の確率でファンのみなさんがわらわら寄ってくる。
その殆どが「自分ちにも老犬がいてね、去年見送ってね」という同じ穴のムジナ的みなさんで「あーあ、かわいそうに」と毒矢尻を放つ人は、その層にはいません。


何かと頼りになるいぶしくんとおかあさん。
この記事を読んで、うんうんと唸った。



『こんなジャンクなものをって、叱られそうですけど......。これしか食べてくれないんです。とにかくカロリーをとってもらわないと、体がダメになっちゃう』

そうなんだ。たべないんだよ。
おまけに食べても太らないんだよ。
だから食べてくれるのならもうなんでもいいよ、って気持ち。
食べることは生きることだし。




『でも、今は分かり合えている』

最高だ。それなら頑張れそう。

以前もどっかで触れたけど、こんちゃん、たまに、進撃の巨人みたいな表情になることがある。
以前のこんちゃんとは別人(犬)だ。
こうなると、なんにも、なんにも、届かない。
途方にくれて、つい悲観的になり、自信が持てず、この先のことが不安になる。

私の場合、犬から離れてする仕事が気晴らしというか気分転換になっている。気晴らしがないと、続ける自信がないくらい、こんちゃんは変わってしまった。



主に暴れてる時に、それは起こる。
「わしのおかあさん(おとうさん?)、この人じゃない」という顔をする。それはもうショックだ。ブルドーザーで心の半分を持っていかれるような気持ち。
人と犬の認知症は同じではないかもしれないが、彼の頭の中の小さな引出しの、うちに来てからの4年分の記憶がどこかにぶっ飛んで、ずっと昔の記憶しかないのじゃないか?というような行動をとる。誰か(ここではないどこか)を捜しているように見える。記憶が逆行しているとしか思えなかった。



そんな時はぐるぐるまわるのではなく、目がろくに見えない(白内障)のに、四方八方、突進し、行きどまりで絶叫、また方向を変えて、突っ走り、よじのぼり、どこかへ行こうとする。誰の声も届かない。犬同士でも異変がわかるのだろう。腕力では絶対に劣らないオレコが、怯えて隠れてしまう。困った目で「なんとかして」って、言ってくる。触ると激怒するので、追い込み漁をするようなかたちでオレコや危険から遠ざける。狂犬病がどういう症状か見たことはないけど、知らない人が見たら、狂犬病じゃないの?と言われそうなくらいの異変。そんなにまでして行きたい、ここではないところというのは、どこなのか。誰に会いたいのか。




『こんちゃんを捨てたやつなのに』という腹立たしさは、不思議と、あまりなく、こんなに会いたいのに、会わせてあげられない。それがとても痛い。会えたらどれだけ喜ぶだろうか。
パニックアタックの時だけそうなるのであって、普段は恍惚の犬だし、時々私たちとの記憶も舞い戻って甘えるそぶりも見せる。だが、暴れ犬時の心を思うと不憫でたまらない。



なんとかして会わせてあげたいんだけど、ずいぶん遠くに捨てに来たみたいで、保護した公園の辺りでは、誰もこんちゃんのことを知らなかった。
みんながいうように、真の飼い主さんは亡くなって、困った親族によって捨てられた可能性も大だった。



こんちゃんにはいつも、『あのねえ、ねんねすれば、会いたい人に、夢で会えるんだよ』と、言っている。
『おかあさんは、神様とか、仏様のことはよくわからないけれど、もしかして、こんちゃんがいつか神様に連れて行かれたら、その先で会うこともできるみたいだよ』
会いたい人はちゃんと待っていてくれるとも伝えた。ぼんやり何かを見つめるような表情は、恍惚としていて、ことばが届いているのか、わからなかった。


それでも時折、我に戻るとき、あまあまくんに変身しているから、このときばかりは、これでもか、というくらい、かわいがる。
そんなときは、たいてい、オレコがすねている。


いぶしくんのおかあさんに教えてもらってやってみたら効果ありだった件
『バスタオルでくるんで抱いてあげると興奮が止んで落ち着くと、海外の犬しつけ番組でやってました』



ぐるぐるまきのけいにしたところ、ぐるぐるまわるのをやめて、すやすやねんねをきめるうちの老犬K



起き出して、子ペンちゃんを張っ倒して出稽古に行くところを、取っ捕まえて、また、ぐるぐるまきにしてやりましたとさ。ああ、すやすや。



おむずがりにはぐるぐるまきじゃな



こんちゃんが、車の中で暴れる理由は、ほぼ特定できる。

・病院へ行くかも
・曲がり角やブレーキで足が踏ん張れないから倒れるのが怖い


という明確な理由がある。
車以外の場所で暴れるのは、思い通りにならないとき、びっくりしたときなどがほとんど。
もちろん、理由もなく(わからないだけで体調の変化などはあるのだろう)、突然始まることもある。
絶叫し、目を剥いて、暴れ馬のごとく荒れ狂う。おくるみ療法は、眠気が勝つときは、有効で、『暴れ欲』が勝つと、効かない。
睡眠薬というか、鎮静剤も処方してもらったけれど、副作用やら懸念材料のいくつかを案じて、いまのところ使っていない。
飲んだからといって、良化するというのは違うようだし、どうやら治す方法はないようだ。
痴呆による脳の委縮が原因なのか、脳自体にエラーが起こっているのか、主治医も見極めが難しいと言っている。
思うまま、体の自由がきくからまだいいものの、動けなくなったら、いぶしくんのように、日がな一日中、叫び続けるのだろうか。
不安は募る。



留守中に暴れるのは、怖い夢を見たとか、歩いてたらこけたぶつけた痛かったとか、なんかしら、彼にとってもっともな理由があるのだろう。
ここのところ、夜半もしくは明け方から朝7時ごろにかけて、おむずかり~パニックアタックが起きるようになった。
そうすると、こんちゃんの頭と心は過去のどこかにいってしまい、『ここはわしの家ではない、あんたはおかあさんではない』と、泣きながら、ここではないどこかを探し、どうしても行きたがる。まったく不憫で仕方がない。どうしたもんじゃろうのう。
心配して見守っているオレコのストレスもピークに達している。




何でも、終わってほとぼりが冷めてから乗り込むほうなので、やっと今『#この世界の片隅に』(映画⇒漫画)を読み始めた。みんながいい、いい、という理由がよくわかる。戦争は嫌だけど、あの世界にちょっと行ってみたい、という気になるから不思議なもんだ。すずさんは、私としては黒木華さんのイメージ。
そんでも、若かりし深津絵里さんにも、やってもらいたい役立った。

サントラと漫画(この週末読む予定です)も買ってしまった。後悔はまったくしていない。
それにしても、この映画が出た年は、『シンゴジラ』も、『君の名は』も揃い踏みしていた年なんだ。
満開の桜のように、ためていた才能が一気に芽吹くのって、とてもうれしい。