情熱親父の心晴天!Part2

風景・イベント・ポートレイト・花・・・etc 何でも好きに撮ります。気ままな中年オヤジです。

守礼門(しゅれいもん)

2012-05-11 00:00:00 | 沖縄旅行シリーズ 風景編

今日は守礼門を御紹介致します。その前に一枚だけ、長男が撮っていた首里城の外壁から望む風景を採用します。

私が、撮って無かったのです。(笑) 良い景色ですよね。キャノンのデジカメですよ。

 

 

         これは、「淑順門」(しゅくじゅんもん)と言いまして、国王やその家族が暮らす御内原(おうちばら)と呼ばれる場所への表門で、

         別名「みもの御門」 「うなか御門」ともいい、門の造りは櫓門形式・入母屋造・本瓦葺となっている。

 

左の写真は外壁を歩く親子連れを意識して撮って見ました。右は長男がVサインをしてます。(笑)「久慶門」(きゅうけいもん)と言いまして、

首里城外郭の北側に位置し、かつては通用門として主に女性が使用した。石造共門で上部に木造瓦葺の櫓がある。

 

<守礼門>

「守礼(しゅれい)」は「礼節を守る」という意味で、門に掲げられている扁額(へんがく)には「守■之邦(しゅれいのくに)」と書かれている。「琉球は礼節を重んずる国である」という意味である。首里城は石垣と城門の多い城であるが、中でもデザイン上バランスがとれ、エレガントな雰囲気のある代表的な門がこの「守礼門」である。中国風の牌楼(ぱいろう)という形式で建立されている。

首里城での多数の城門や建築物には「公式の名称」の他に「別名」が付けられている。それらの呼び名から往時の琉球人の詩的な感覚が読みとれる。守礼門は古くは「首里門(しゅりもん)」ともいわれたが、庶民は愛称として「上の綾門(いいのあやじょう」と呼んだ。「上の方にある美しい門」という意味である。

1527~55年(第二尚氏4代目尚清王(しょうせいおう)代)にはじめて建立され、1933年(昭和8)に国宝に指定されたが沖縄戦で破壊された。現在の門は1958年(昭和33)に復元されたもので、その後今日まで沖縄を象徴する観光施設として利用されている。2000年の記念紙幣2,000円の絵柄にもなっている。

 

 

何枚か撮って見ました。民族衣装着た方は、お金を出して記念撮影をされていたんです。たまたま、私のカメラに入ったので黙って撮って

しまいました。(笑) けどね、門はどうも真正面から撮るのは少ないですね。見ての通り、斜めから撮ってる人が多かったです。(笑)

で、そろそろ、お昼が過ぎていたので、長男とご飯を食べにレストハウスに入りました。

 

「タコスライスセット」を注文。勿論、昼間から生ビール!勿論、オリオンビールですよ。(笑) 沖縄そばに三枚肉が乗っています。

あのね・・・タコスライスってタコが入ってるもんだと、てっきり思っていたんで、「なんでタコ入ってないの?」と長男に聞くと、

「お父さん!そんな事も知らんの?恥ずかしい!ご飯の上に、そこにあるもんかけて食べるんよ!」と。はいはい。有難う恥かくとこでした。

昼間からのビールは美味い!空は青!空気も良い!食欲が進みました。はい。食後、良い時間になって来たんで、少々、残してる所を

見物に!

                         写真右の様に、長男が立ってるのが世界遺産の前。

 

                                          円覚寺総門の前で!

 

弁財天堂はまさにミズノ女神「弁財天」をまつっている建物で円鑑池の中に浮かんでいるようにあります。この円鑑池は首里城などの湧水が雨水が集められた人工の池で、ここから溢れた水が龍潭へ流れているらしいです。その水路周辺は石畳の趣がある光景がが広がっており、水路の脇には散策路もあります。その円鑑池に、鳥の親子を発見!あまりに可愛いので、スライドにしました。

                 

        円鑑池の鳥の親子

 

で、良い時間になったので、待ち合わせ場所へと!

 

 

    ゆいレールの駅、首里に向かってると3日オープンのコンビニの前に民族衣装を着た方がいたので撮らせて貰いました。守礼門では、

    有料。(笑) こちらは、無料!やったぜ!

 

                                    ゆいレールの首里駅からの風景です。!

              今日は、内容重視!てんこもり!(笑) 楽しんで頂けましたか?風景、守礼門、弁財天堂、円鑑池、グルメ!

日差しが暑くて参りましたよ。今日も訪問有難うございます。 右サイドバーの応援ポチ3つ押して頂ければ更新の励みになります。宜しくお願いします。


首里城 Part2 内部編

2012-05-10 00:00:00 | 沖縄旅行シリーズ 風景編

今日は、首里城の内部を御紹介致しましょう。まず、中々、見れないでしょうから、来沖される時の参考にして下さいね。

また、ロマンを思い浮かべながら見て頂ければ嬉しいですね。

左写真は、展示物の様です。 右側写真は1階の「下庫理(しちゃぐい)」と言って、主に国王自ら、政治や儀式を執り行う場所であった。と、されます。

<首里城の遺構>  

首里城正殿は創建以来、戦火、失火により四度の焼失と再建を繰り返しています。下に見える石積みは、焼失と再建を繰り返した首里城正殿の

遺構です。現在の首里城はこうした遺構を保護する為に、約70㎝ほど、かさ上げして建築されています。

<御差床(うさすか)>

政治や儀式の際に国王が出御する王座である。左右には、国王の子や孫が着座した「平御差床(ひらうさすか)」がある。

 

<御差床(うさすか)>

国王の王座として様々な儀式や祝宴が行われたところである。お寺でよく見かける仏像を置く台(須弥檀)によく似ている。天井も高くしており、

格式をつけている。御差床の正面には御庭に面した小部屋があり、正月の儀式の時など、国王が、うちゅーい(椅子)に座り、御庭に並ぶ

諸官の輵見を受けた。



御差床左右の柱には龍が描かれ、そのまわりには雲が配色されています。

なお、国王の椅子については、1477年~1526年まで在位した尚真王の御後絵(肖像画)をもとに再現したものです。

2階にも1階と同じ場所に御差床があるのは極めてめずらしいと言われています。特に2階の御差床は絢爛豪華(けんらんごうか)な意匠となっています。



御差床の両脇の朱柱(しゅばしら)には金の龍と五色の雲が描かれ、天井は丸く上部に折上げて格式をもたせている。また、記録によると両脇の床には、麒麟(きりん)、鳳凰(ほうおう)の絵が掛けられていた。

正殿二階

正殿二階は日常的には王妃や身分の高い女官たちが使用した空間であり「大庫理(うふぐい)」と呼ばれていた。儀式の際には床の間には香炉(こうろ)、龍の蝋燭台(ろうそくだい)、金花、雪松等が置かれ、壁には孔子像の絵が掛けられていた。部屋の上部にはかつて中国皇帝から贈られた御書(ぎょしょ)の扁額(へんがく)が幾つも掲げられていた。「中山世土(ちゅうざんせいど)」の扁額(へんがく)は古い記録をもとに再現したものである。



南東隅の部屋は「おせんみこちゃ」と呼ばれ、国王自ら女官とともに毎朝東方に向かって拝んでいた。「御床(おとこ)」には神棚として神霊が祀(まつ)られ、女官は抹香(まっこう)を焚いて「火の神(ひぬかん)」等を拝礼した。身分の高い神女(しんじょ)の任命儀式なども、国王、王妃臨席のもとここで行われた。三階は主に通風のために設けられた屋根裏部屋である。

 

写真右は、「国王の玉冠(ぎょくかん)」です。皮弁冠(ひべんかん)、または玉御冠とも言います。国王が儀式の時に被る物です。

原資料は絹製で玉(金・銀・水晶・珊瑚・碧玉・ガラス)などで飾られています。この展示されている複製品は原資料の約1.2倍の

大きさに復元され布地は化学繊維です。

 

 

 17世紀に与えられた琉球国王印

中国の明朝(1368~1644)が滅びたあと、清朝(1644~1912)の皇帝から尚質王に与えられた国王印。この前に琉球は明朝から

与えられた国王印を返してこの印を貰っている。

 

                                案内のお姉さんを撮らせて貰いました。目が素敵な方でした。

 

どうです皆さん?少しは琉球王国に興味をもたれたのでは?昨日、今日と首里城の復元を、持ち帰った資料を元に、写真を交えて投稿しましたが、

改めて琉球の歴史にロマンを感じましたね。想像するだけで、ワクワクしてきます。

 

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首里城 Part1

2012-05-09 00:00:00 | 沖縄旅行シリーズ 風景編

今日は、3日に行った首里城の風景をお送りします。体調が戻らなくて困っています。 あまりのギャップのせいです。暑い所から帰って来たんで、

寒さを感じています。こりゃ、時間がかかるかもです。(笑)

                           階段を上って行きますと、首里城の門があります。 冊封七碑と言います。

 

                           上がってから、一枚。最高のパノラマです。これこそ絶景ですね。

 

                            御覧頂いています通り、小さな瓦屋根の建物から入って行きます。

                            広福門と言います。

 

 正殿(せいでん)は言うまでもなく首里城で最も中心的な建物である。

木造の三階建で、一階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場、二階は「大庫理(うふぐい)」と呼ばれ、国王と親族・女官らが儀式を行う場であった。三階は通気を目的とした屋根裏部屋である。

上の写真は、首里森御嶽です。

<首里城>

今年で、復元から20年目を迎える首里城。鮮やかな朱塗りの正殿に代表される絢爛な姿は。琉球王国の華麗なる歴史を今に伝える

象徴です。「本土復帰直後から首里城復元を切望する有志団体【首里城復元期成会】があり、当時から熱心に政府に働きかけしてました。

戦前の首里城を見て育ったお年寄り達の熱い思いから、いかに首里城が県民の誇りの象徴であったかが伝わりましたね」と復元の背景を

話す、首里城復元の時代考証ディレクターで、琉球大学教授の高倉倉吉さん。戦後は守礼門などがすでに復元されてましたが、琉球大学の

西原へのキャンパス移転に伴い、沖縄県が跡地利用の検討を始めた際に「王国の中心、首里全体を風格のある街作りで再現し、その

中核となる首里城を歴史公園として復元する」と決まりました。

 

 

復元の最大のテーマは「いつの時代の首里城を復元するか?」でした。首里城の変遷や古い写真・資料などを検討し、1709年の焼失後、

1712年~15年に再建され首里城が最も栄華を極めた18世紀いこうの首里城をモデルにすると決定。つまり、、誰も直接見た事がない

首里城を復元すると言う難題に挑むことに。そこで二つの大きな手がかりが見つかります。

 

「一つは染色家の鎌倉芳太郎氏が保管していた首里城当時の図面(百浦添御殿普請付御絵図井御材木寸法記)。正殿の柱の数や大きさ

瓦や階段の数などを、当時の役人や絵師が忠実に記したもので、正殿の間取りや王が座る王座の詳細が初めてわかりました。もう一つは、

尚家に残る首里城修繕の際の資料で、使用する木材の種類や大きさ、管理や調達方法も記されていました。」これが大きな自信となり

復元は大きく前進。

 

 

 首里城復元では資料を、様々な角度から検証し、幾つもの謎を解明しながら作業を進行。正殿2階の国王の王座、御差床(うさすか)の手すりが、

実は楕円形だったことや、正殿の鮮やかな朱色が実は約30行程の塗りを重ねていたことなども、縮尺模型の製作や当時と同じ行程を実際に

行って確証を得て来ました。「根拠がないものは復元はしない。」 それが首里城復元における最も重要なルールとなっています。

 

 18ヘクタールの広大な敷地のうち、城壁に囲まれた約5ヘクタールを国営公園とし、それ以外は県営公園として復元された首里城。

 

 「御庭(うなー)」は首里城の中心部である。正面が「正殿」、向かって左(北側)が「南殿・番所(なんでん・ばんどころ)」、右(南側)が「北殿(ほくでん)」で、これらに囲まれた中庭広場の空間を「御庭」という。

年間を通じて様々な儀式が行われた広場である。御庭には磚(せん)【敷き瓦】というタイル状のものが敷かれているが、この色違いの列は、儀式のさいに諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割をもっていた。

中央の道を「浮道(うきみち)」といい、国王や中国皇帝の使者【冊封使(さっぽうし)】等限られた人だけが通ることを許された。

 2000年12月には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、世界文化遺産に登録されました。 この事を高良さんは、「復元は新しい観光

スポットとして成功であり、城が蘇る事で城を持つ王国の歴史が物語として解りやすくなり、特に若い世代にアピール出来る。歴史を学びたい

と、思う人も増え、それだけで大きな意義がある。」と語り。県内外の城跡の復元やアジア各国の戦災で失われた文化財復興のモデルケースにも

なると示唆します。

 

  「復元は、単なる入口。資料や儀式に向き合う度に、琉球王国の技術や知識水準の高さ、奥深さに驚かれ、新たな

謎や宿題が次々と生まれる」 琉球王国の壮大なロマンは首里城復元20年経ても序章に過ぎないのかもしれません。

                          以上、「美ら島 沖縄」から首里城の歴史をお送り致しました。

 

       しばらくは沖縄大使の使命をかって出て、沖縄広報を多くの方々に提供して、沖縄観光の一躍を任えれば嬉しいですね。

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沖縄旅行  初日目の風景と首里城

2012-05-08 00:00:00 | 沖縄旅行シリーズ 風景編

お待たせ致しました。沖縄シリーズの始まりです。 どんな風に投稿記事を書こう と、思って悩んでおります。はい。

ダイジェストか・・・?順を追って投稿すべきか?・・・ 結論が出ず、まっ、ゆっくり順を追って投稿して行きましょう。

5月3日、空港に着いたのが9時30分。そこからまず、滞在先のホテルに荷物を預けに行きました。

空港からタクシーで15分くらいです。「松山」と言う地名です。「アパホテル那覇」

15Fで、結構綺麗なホテルでした。此処を拠点に私共は行動していました。GW期間でも料金は格安!

県庁前にも国際通りにも近いのでお勧めです。この辺りには「福州園」と言う庭園や、海も近いので観光には

便利が良いと思います。

 

 

                       荷物を預けまして、タクシーで嫁の実家へ向かいました。その実家前の様子を!

       沖縄は、台風の通り道なんで、あまり高い建物は無く、独特の建築設計になっています。また建築基準も厳しくなっているそうです。

 

    実家へ挨拶をしたあとは、嫁さんの友達の家に挨拶に!そこから長女の家に挨拶を!結構、歩きました。ちょっとくたびれました。(笑)

    そこから、嫁さん、二男、双子の娘は兄貴とお墓参りとちょっとしたスポットへ!私と長男は首里城観光へ行きました。

 

念願の「ゆいレール」に乗りました。那覇空港~首里までの短い距離を走りますが、県民にとっては大切な足になっています。また観光客にも

便利な交通機関ですね。そんなに高くもなく乗り心地は良いですよ。タクシー代を考えて乗る事をお勧めしたいですね。

人数や距離によっては、タクシーが安くつく場合もあります。

 

首里に到着して少々歩きます。とにかく天気が最高でした。!写真は決して色を出しているのではなく、本物の空の色ですから!(笑)

 

                           これは、首里城の外壁から街並みや海の方面を撮った一枚です。

 

             左側が長男!ひげなんかはやして・・・(笑)  右側写真は、外壁の階段。振り返って一枚撮りました。

 

 

まるで、異国情緒ですよ!あまりの綺麗さに、親子で叫び声をあげました。

            左はガジュマルの木の前で!右側は、首里城へ続く前で!

 

                                   上の写真を真正面から撮った一枚です。

 

      観光客で賑わっていました。気温が半端じゃない!半袖でも暑い!とにかく綺麗です。これから歴史を堪能することになるのです。はい。

 

では、続きは明日のお楽しみです。今日も訪問有難うございます。右のサイドバーの応援ポチ。3つ押して頂ければ励みになります。

今日は体が揺れています。まだ飛行機に乗ってる様な気分です。寒いです。ギャップを埋めるのに時間が掛かりそうですね。(笑)

 

 


沖縄旅行 飛行機の窓から・・・・!

2012-05-07 00:00:00 | 沖縄旅行シリーズ 風景編

皆さん、ただいまです。 無事に帰って来ました。こんがり焦げて帰りました。 皆さんは、いかがお過ごしでしたか?

なにやら大変な被害にあわれた地方があったようですね。竜巻や、がけ崩れなどがあった様子ですね。

お見舞い申し上げます。中でも茨城県の竜巻。ブログ仲間の方がいらっしゃるので心配です。

 

沖縄は常夏でした。腕がヒリヒリします。写真は私と、長男のを合わせて1000枚強ですが、ピンボケがたくさんあるので、

明日から削除の山ですわ。(笑) お話は、ゆっくりして行きますね。今日の写真は一先ず、沖縄へ向かう飛行機からの

景色です。整理をつけながら、いろんな投稿方法で楽しんで頂きますね。

 

体感温度が全然違うので、体が疲れている所へちょっと堪えます。すごく肌寒く感じます。

腰もなんとかもちました。現在、少々痛みを感じております。

では、どうぞ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

離陸して、デジタルのスイッチを入れて良い所で、良い景色だけを撮りました。着陸前はスイッチをつけては行けないので、

エメラルドグリーンの海を撮れませんでした。その変わり違うシーンで海は撮ってあります。

 

留守中の訪問有難うございます。リコメは、疲れているので、すいませんが出来ないです。

7日、今日から皆さんのブログに訪問させて頂きますね。

 

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