情熱親父の心晴天!Part2

風景・イベント・ポートレイト・花・・・etc 何でも好きに撮ります。気ままな中年オヤジです。

観光ツアー編 美ら海水族館 Part2

2012-05-16 00:00:00 | 沖縄旅行シリーズ 風景編

昨日に引き続き、美ら海水族館です。スケールは、日本を代表する立派なもんです。大阪の海遊館なんて目じゃないです。(笑)子供から大人まで一日楽しめますからね。 一度は、見ておいた方が良いかと思いますね。 ここは、沖縄返還を記念して博覧会が開催された跡地ですから、言うまでも無く、広大な敷地を誇ります。環境も良く、観光の人気No1ですね。それでは行きます。

 

                             今日もジンベイザメからですね。これだけ体が大きいと風格がありますね。

 

 

                                様々な魚が群れをなして泳いでいます。綺麗ですね。

                               綺麗な魚達が泳いでいますね。可愛いですね。

 

 

                            右写真はサメですが、後姿なんで、どの種類のサメかは解りません。

 

 

 

                      カスリハタですね。でかいですね!動きはおっとりしてました。まるで私みたい!(笑)

 

                                           色んな魚が居ました。

 

 

 

 

                                  深海に住む、海老ですね。勇ましい雄姿です。

 

 

 

海老もカッコいいですね!今日は此処までです。また明日です。 今日も訪問有難うございます。右サイドバーの応援ポチ、3つ押してお頂けると更新の励みになります。ヨロシクネ!


観光ツアー編 美ら海水族館 Part1

2012-05-15 00:00:00 | 沖縄旅行シリーズ 風景編

さぁ~ 皆さん、沖縄県が世界に誇る、巨大水族館へ御案内致しますよ。 日本広しと言えども、これ程までに素晴らしい水族館はありません。

まず公式サイトからの御案内です。

「美ら海」感動体験沖縄の神秘を、ありのまま。

沖縄の海 - 豊かな自然や歴史文化の体験をはじめ、イルカたちとのふれあいも楽しめる海洋博公園。「沖縄美ら海水族館」は、海洋博公園にある人気スポットの一つです。

水族館では、神秘に満ちた沖縄の生き物たちの雄大な世界が広がります。太陽の光が降りそそぐ「サンゴの海」水槽では800群体のサンゴを飼育展示しています。そして、世界最大の魚ジンベエザメや、世界初の繁殖に成功したナンヨウマンタが観察できる大迫力の巨大水槽「黒潮の海」。さらに謎に包まれた沖縄の深海を再現した「深層の海」水槽へと、沖縄の海を丸ごと体感できます。

何度訪れても新しい出会いと発見がある「沖縄美ら海水族館」へ、みなさまのご来館をお待ちしております。

沖縄美ら海水族館の概要

巨大アクリルパネルで一望する黒潮の魚たちの世界
全長8.5mものジンベエザメや長期飼育記録世界一のナンヨウマンタをはじめ、多種多彩な魚たちが泳ぐ大水槽。その感動的な光景が一望できる巨大アクリルパネルは、高さ8.2m、幅22.5m、厚さ60cm もあります。サメやエイ、そのほか黒潮の回遊魚にも手が届きそうな感動と興奮をお楽しみください。
世界初! ジンベエザメの複数飼育
これまで困難とされてきたジンベエザメの複数飼育。沖縄美ら海水族館では、その世界最大級の水槽で、ジンベエザメの繁殖を目指した複数飼育を実現しました。現在、最も大きい「ジンタ」を始め3尾のジンベエザメがいます。未だ謎が多いジンベエザメの生態。沖縄美ら海水族館では、その解明に挑み、世界初の試みに挑戦します。
※沖縄美ら海水族館は、その前身である国営沖縄記念公園水族館(昭和50年開館)時代の昭和61年よりジンベエザメの複数飼育に取り組んでいます。
エイ類最大! マンタの複数飼育。飼育実績は世界一
沖縄の美しい海を悠々と泳ぐナンヨウマンタ。沖縄美ら海水族館は、世界最大のエイの一種のナンヨウマンタの複数飼育と繁殖に世界で初めて成功しました。生後すぐに海上の生簀に移して飼育し、順調に成長した仔マンタが水槽に戻り、親子で泳ぐ姿もご覧いただけます。長期飼育記録でも世界一を保持。現在、6尾のマンタが水槽の中をのびのびと泳いでいます。巨大水槽と新鮮な海水を絶えず供給するシステムで実現した、マンタの美しく壮大な姿をぜひご覧ください。
サンゴの大規模飼育で沖縄の海を再現
沖縄美ら海水族館では、海から汲み上げた海水をふんだんに水槽に取り入れています。沖縄の美しい海を彩る「サンゴの海」水槽では屋根をなくし、自然光をいっぱいに採り入れた300m³の大水槽に、70種、800群体のサンゴが展示されています。サンゴのほとんどは8年以上もかけて育ててきたものです。
ここでは、サンゴ礁に暮らす魚たちも賑やかに泳ぎまわり、サンゴの成育を妨げる海藻やイソギンチャクを駆除する役目を果たしてくれています。
サンゴ礁で成育するサンゴたちの、自然そのままの姿をお楽しみください。
未知の生態~沖縄の深海を再現!
宇宙のように謎の多い深海。沖縄を取り囲む美しい海の底には、神秘的な生き物がたくさん生息しているのをご存知ですか?
こちらのコーナーでは、水深100m~700mで生きる深海の生き物がご覧になれます。ハマダイ、ナガタチカマス、発光エビ類など、飼育が非常に困難と言われる珍しい生き物をご覧になれるほか、深海の環境やそこで暮らす生き物を、映像やパネルで解説するコーナーもお楽しみいただけます。

「美ら海」の意味~沖縄美ら海水族館の名前ができるまで~

「沖縄美ら海水族館」の「美ら」は、何と読むかご存知ですか? この言葉は、「ちゅら」と読み、沖縄の言葉で「美しい」「綺麗」という意味になります。

「沖縄美ら海水族館」の名称は、平成14年11月1日の新水族館リニューアルオープンに先立ち、全国各地から寄せられた13,897点の応募の中から選ばれました。
多数の応募で審査にあたった愛称選定委員会を悩ませましたが、「県外の水族館と区別でき、沖縄という地域性が感じられる」「親しみやすく多くの人に覚えてもらえる」などから、最終的には「沖縄美ら海水族館」が選考されました。

これからも「沖縄美ら海水族館」は、沖縄の美しい海に囲まれた水族館として、より多くの人たちに愛されるよう努力を重ねてまいります。

 

と、言う事を知って頂いて、ご覧頂ければ沖縄に来たら、ここは絶対に行きたくなりますよ。何度でも

では、撮りたてホカホカの写真をどうぞ

                         例によりまして、まずはモデルの長男から!

                              長男は3~4回目だったと思います。因みに私は2回目。

 

                         まずは、掴みにジュゴンですね!これがこの水族館の売りですよ。

 

                                          どうです?この迫力は?

                       腹の方を撮って見ました。おとなしいんですよ。 私みたいです。(笑)

水族館に入るとすぐに、こんな水槽があります。イノーの生き物たちです。スイジガイ(殻の形が漢字の「水」に似る事が名前の由来。左の写真、左手に見えます。青い魚はルリスズメダイ。尾びれの色がオスは青色。メスは透明。カワテブクロ(綺麗なピンク色をしているヒトデです。)コブヒトデ(大型のヒトデで、体高が高く、背中に大きなコブが多数あるのが特徴。右の写真中ほどです。マンジュウヒトデ(小さなうちは星型をしていますが、成長するにつれ五角形になります。左写真、右の赤いのがそうです。ニセクロナマコ(沖縄の海で最も多く観られるナマコです。)右写真の黒い長いのがそうです。などが住んでいますよ。

     これが珊瑚ですよ。上の案内にも在ったように、珊瑚の大規模飼育をされています。その数、約800群体と言うのですから、壮観ですよね。

                        綺麗な魚達が泳いでいますね。名前がわかりません。ごめんなさい。(笑)

 

 

 

 

     右の黄色の魚は、トゲチョウチョウウオと、言います。背びれの一部が長く糸状に伸びているのが特徴です。左はわかりません。(笑)

カスリハタ 大型のハタの仲間で、灰色の体色と大きな黒い斑点があります。と、マダラトビエイ 主に海底の魚類。貝類。などを強力な歯板によって噛みつぶして、捕食します。

 

 

                     これは、ウシバナトビエイ 沖縄以南の暖かい海に見られ、大きな群れを作り回遊します。

長男のコンデジで撮影したジンベイザメ。  沖縄名ではミズサバと言います。最大14mに達する魚類の最大種で、世界の熱帯海域を中心に分布するサメです。

    斑点が見られるんで、これもマダラトビエイですね。これも長男のコンデジです。一緒に行ってるんですから、共同体で撮影です。(笑)

 

水族館では三脚なんて立てれませんし、暗い所などもあってデジイチで撮るのは至難の技!ブレブレにピンボケだらけ。難しかったですね。昼食時にビールも頂きまして、カメラを構える手がね・・・(笑) 食事はホテルのバイキング料理にしました。味はそこそこかな!那覇バスツアー客には10%割引のチケットがカウンターで頂けます。それからね、ここでは3時間以上は、時間要りますよ。見どころは館内だけではありません。海洋博公園ですので、様々な物が見れます。ツアーの場合は、館内と食事で精一杯です。フリーがお勧めですね。食べる所が限られています。行く時には、事前に調べておいて時間を有効に使う事がポイントです。私、またイルカショーが見れませんでした。

広大な敷地です。一日ががりでも回れるかどうかです!また行くぞ!待ってろ!美ら海水族館よ!

と、言う事で、明日も続編をお送りしますね。

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*   今日は、沖縄が本土復帰40周年の佳節日です。皆さん、どれだけの歴史が沖縄を苦しめてきたのか?改めて知らなければならない日です。特に日本政府が強引に、復帰をした経緯。今も尚、普天間問題で苦しめている、この現状を多くの方に知って頂きたい。私は心から沖縄を愛しています。どれだけ沖縄県民に、良くして頂いて来たか!安易に移転、移転と騒ぐ、日本政府の愚かさに、怒り、絶望感、憤りを感じずにはおれません。だからこそ県民の多くは平和を望み、生きて来られた。そして決して本土や人を憎む事はない。逆に、大歓迎してくれる。本土とは違いが在り過ぎます。何故なんだろう?豊かな心を持つ。人を心から愛する所は、まさしく勉強になります。学びましょう!平和を!そして、広げましょう!心の輪を!

中国との貿易の中、薩摩藩、日本に苦しめられても、此処まで生きて来られた沖縄の事を少しでも良いから知って頂ければ、嬉しいです。私は思います。薩摩藩や、日本に知恵があれば、武力で制圧しなくても共同体と言う形で進んで行けば、歴史は、変わっていたのでは?と・・・・。

 

 


観光ツアー編 今帰仁城跡(なきじんじょうせき) Part2

2012-05-14 00:00:00 | 沖縄旅行シリーズ 風景編

<今帰仁城歴史>

築城された年代は明らかになっておらず、発掘調査によって13世紀末頃から築城が始まったものと推測されている。
城の正殿【せいでん】は残存していないが、標高100mほどにある周囲は川や谷の急斜面となっており防衛上極めて優れた地勢となっている。

見応えがあるのは何と言ってもその城郭である。外周は約1500m、高さ6~10mで自然の地形に沿って巡らされた様は「万里の長城」を想像するに容易である。ここからは城郭の様子が一望できるだけでなく東シナ海と天気が良ければ伊是名島【いぜなじま】から与論島まで見渡すことができる

 

 

 

 

 志慶真門郭       ここには城主に仕えた身近な人々が住んだと考えられます。発掘調査によって4つの建物があったことが解っているそうです。

 

美しく曲線を描く城壁

 

 美しく曲線を描いているのが特徴です。曲線美をゆっくりとご覧ください。

 曲線美と荒削りな石積み

近づくと、曲線美とは対照的に、荒削りな石積みの様子が見えてきます。山から採れる石を利用しているのですが、この石が使われている城は
今帰仁城だけなのです。

 この石は、硬くて刃が立たないので、加工せずにそのまま積み上げていくしかありません。

 それで隙間が多く荒削りな感じがするわけです。この石を古生代石灰岩と呼んでいます。

 それに対し、今帰仁城以外の城では、琉球石灰岩が使われています。柔らかいので加工して組んでいくことができます。

 グスクという要塞

琉球では、城とは言わず、グスクと呼びます。グスクに漢字をあてたので城と言うようになったのですが、本当は今帰仁グスクと言うのが正解です。

 このようなグスクは琉球に200以上も造られていました。グスクを根城にして、按司と呼ばれる権力者が勢力を拡大していったのです。
その中でも、今帰仁城は最大級の規模を誇っていました。

 曲線の城壁を1.5キロメートルもつなげて築いたのですから、今帰仁城の城主は按司の中で、最も力があったといえます。

 総面積は甲子園球場の約2倍

今帰仁城の総面積は7万9千平方メートルで、甲子園球場の約2倍の大きさです。沖縄県内では首里城と同じくらいの面積です。

 今帰仁城は別名を北山と呼びます。北の小国家の意味です。北山の勢力範囲は、北は奄美大島におよぶ広い範囲でした。

 一口メモ

 今帰仁城の石積みの方法を野面積み(のづらづみ)といいます。それに対し相方積みや布積みと呼ばれる、すき間のできない積み方があります。

 座喜味城はアーチ門で有名ですが、琉球石灰岩は柔らかく加工ができたため、きれいなアーチを造れたわけです。

 

 

火之神の祠(ひのかんのほこら)  現在の火神の祠は戦後に改築したものを、整備事業に伴い移築し現在の位置にあります。碑は今帰仁王子朝忠(今帰仁按司十世宣謨)によって、乾隆(けんりゅう)14年に立てられています。乾隆14年は尚敬王(しょうけいおう)37年(1749年)にあたります。碑は現在今帰仁村歴史文化センターに保管展示されています。祠には、第二監守一族の火神が奉(まつ)られ、旧暦8月10日には今帰仁ノロ以下の神人(かみんちゅ)が城ウイミの祭祀(さいし)を現在も行っています。また、今帰仁上りの重要な拝所として参詣者が絶えません。
(県指定有形文化財平成14年1月18日)

上3枚の写真の辺りが 

主郭(俗称本丸)

主郭は日本の城郭の本丸にあたる部分ですが、天守閣はありません。標高100メートルで今帰仁グスクの最上部です。
主郭は城主の住居があったところで、山北王と今帰仁監守の住居跡が確認できます。
西側にある案内板は、発掘された陶磁器を、北側にある地層の原寸大写真は、中国伝来の版築を見ることができます。
火の神、今帰仁城監守来歴碑記、石灯籠が、今帰仁監守の盛衰を物語っています。

 

左の写真が、クバの御獄 と、言います。今帰仁城跡の西にあり、古期石灰岩で出来ている丘陵です。地元ではウガーミと呼ばれる聖域で、年に2回今泊区民によるウブウガン(御願)が行われています。

 

                  今年、初の蝶撮り。この後、漫湖公園と言う場所で、沖縄でしか見れない蝶もゲットしてありますよ。

 

                                      長男と記念撮影です。(笑)

                                志慶真門郭の見事な城壁を撮っています。

                             長男が写ってるのは新参道から入口方面を捉えています。

                                 長男シリーズですね。(笑)

 

 

                                       これは志慶真門郭の外壁です。

 

      これも祠だと思うのですが、パンフにもネットにも説明がありませんでした。だけど4つの祠のうちの1つには間違いないですね。

 

明日は、いよいよ美ら海水族館ですよ!世界1位の大水槽に様々な魚やジュゴンが観れますよ。今日も訪問有難うございます。

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観光ツアー編 今帰仁城跡(なきじんじょうせき) Part1

2012-05-13 00:00:00 | 沖縄旅行シリーズ 風景編

さて、昨日はエメラルドグリーンの海、古宇利島を御紹介致しました。伝説もあり、よう~し!沖縄行くぞ~ぉ!と言う、お気もちになられた事でしょうね。

今日は、皆さんと世界遺産巡りをしてみたいと思います。今帰仁城(なきじんじょう・なきじんぐすく)です。

なきじんは「みゃきせん」と呼ばれた

「今帰仁」は、「なきじん」と読みます。

 実は、もっと昔、琉球の時代には、「みゃきせん」と呼んでいました。薩摩侵攻の後、「いまきじん」と呼ばれ、現在は「なきじん」と呼んでいます。

 なきじんの「な」は、みやきせんの「みゃ」または「みゃー」の変化した音なのです。

 つまり、琉球語では 「みゃ」→「な」 に変化しました。やまと語では 「今」を「いま」 と読みました。みゃーきせん → いまきじん → なきじん

 と変わってきた、と思われるのですが、定説ではありません。

 

 

 

今帰仁城(なきじんじょう・なきじんぐすく)

今帰仁城跡とは、沖縄本島の北部、本部半島にある歴史的なグスクです。世界遺産にも登録されたグスクは、沖縄県の県庁所在地である那覇市から車で約1時間30分の距離にあります。

今帰仁城跡の歴史は古く、13世紀までさかのぼるとされています。堅牢な城壁に囲まれたその城は、標高約100メートルに位置し、やんばるの地を守る要の城でした。

攀安知(はんあんち)時代に、中山軍(ちゅうざんぐん)に滅ぼされてからは、監守(かんしゅ)が派遣されるようになり、1665年に最後の監守が引き上げてからは、祭りを執り行う場所として残されました。

今帰仁城跡は2000年12月に世界遺産に登録されました。真新しい上の写真はそれ以降にできた石碑です。

 

 

      平郎門    本門で、現在見る門は昭和37年に修復されたものです。門の両脇には狭間があって門番が見張りするところです。

 

                      ここを、くぐり入って行きます。新緑が鮮やかでしたね。

 

                         長男が座ってる場所は、石積遺構と言います。

                                 

                            これが上の写真になります。ここには、こんな遺構が数々見られます。

 

ツアー客と、一緒に上がって行きます。実はこの時、腰が痛くてね・・・!だから長男が度々、気にしてくれてこちらを向いてるわけです。

足元が石なので、支えてくれたりしてました。嬉しかったなぁ~!新参道と言うそうです。

 

          志慶真乙樽(しげまうとぅだる)   北山王の側室であったとされ、絶世の美女として知られる伝説の女性である。

                             解説    志慶真乙樽が、老年になって出来た子を可愛がる様子を

                                    時期外れのみかんに例え城内の平和を歌った琉歌。

 

                           今帰仁城の城 しもなりの九年母 志慶真乙樽が ぬきやいはきあい

意味は、今帰仁城の王妃にはあとつぎができなかったが、年をとってから、ようやくこどもが誕生した。しもなりの九年母とは、季節はずれに実ったシークヮーサー(在来種の小さいみかん)のこと。ぬちゃぃ はちゃぃとは、このみかんに糸を通し輪にしたものを、首にかけたりはずしたりしてこどもと遊んでいる様。

 

 

 

                        海の方を指さしてますが、曇りなんですよ!(笑)

 

             

 

 

     大隅[ウーシミ]    戦時中に備え馬を養い、兵馬を訓練した場所として伝えられています。最も高い石垣が築かれた堅牢な城郭です。

 

風景を撮って見ましたが、あいにくの曇りではね・・・・!最後の写真は御内原【ウーチバル】と呼ばれ、今帰仁城に使えた女官たちの生活の場と伝えらる場所からの眺望でここからは城郭の様子が一望できるだけでなく東シナ海と天気が良ければ伊是名島【いぜなじま】から与論島まで見渡すことができる。

 

この様に、今日、明日は今帰仁城を皆さんに御紹介したいと思います。  今日も訪問有難うございます。右サイドバーの応援ポチ3つ、押して頂けると更新の励みになります。宜しくお願いします。


観光ツアー編  古宇利島

2012-05-12 00:00:00 | 沖縄旅行シリーズ 風景編

お待たせしました。いよいよツアー編です。4日にツアーに参加して来ました。長男と二人で!嫁たちは別行動でした。

あいにくの天気でした。この日だけ北部は曇り。時折、パラリと小粒の雨。けど、車中にいたので影響はなし。数分降った程度でした。

コースは、8時30分スタート。古宇利島(こうりじま)-ワルミ大橋(車窓から)-今帰仁城(なきじんぐすく)-美ら海水族館ー名護パイナップル園ー18時30分終了。ホテルに迎えに来てくれます。帰りは県庁前で降ろしてもらい徒歩15分でホテルです。

これで全込み食事抜きで二人で1万円ほどでした。GWにしては格安でした。

まずは、那覇バスの可愛いバスガイドさんをゲットしました。

 

    「伊集さん!」19歳! 車中でのガイド振りは、19歳と思えないしっかりしたガイドぶりで、伯父さんはかなり満足致しました。はい。

 

この写真は、バスの中、すなわち窓越しに古宇利島付近を撮ったものです。窓が青っぽい感じでしたので、この色は自然の色ではありません。

まずは、観光写真!長男にモデルをさせました。すでに海に入っていますよ。暑いのです。

天気が良ければ最高らしいです。それこそエメラルドグリーンが時間事に変色するのですよ。はい。

 

行楽スポットとして、今一番注目されているのが沖縄本島北部、今帰仁村の古宇利島。2005年2月に全長1960mの古宇利大橋が開通しました。本部半島の北東に位置する、面積わずか3.11平方kmのとても小さな島ですが、海の景観がひときわ素晴らしいことから、週末になるとかなり混雑しています。

これまでは、名護の運天港からフェリーでしか行くことができませんでした。サトウキビ畑が広がるのどかな島です。神々の伝説が残る沖縄の離島の例に漏れず、古宇利島 にも古い言い伝えが今なお伝えられています。

古宇利島はアダムとイブの島?

古宇利島 には、アダムとイブの物語にそっくりな神話があります。そのため、別名フイ島(恋島または越島)とも呼ばれています。約3600年前も前の古い遺跡が発見されるなど、学術的にも注目されています。

それでは、古宇利島のアダムとイブの伝説を紹介しましょう。

昔々、古宇利島に男の子と女の子がいました。2人とも裸でしたがそれを恥らうことなく、毎日、神様が天から降らしてくれるお餅を食べながら仲良く幸せに暮らしていました。

月日が流れ、成長した彼らは食べ残したお餅を蓄えることを覚えました。そこで神様はお餅を降らすことを止めてしまいました。仕方なしに彼らは海に行き、魚や貝を採って生活するようになりました。

あるとき、2人がいつものように浜に出てみると、ジュゴンが交尾してました。そこで子作りの意味を理解した2人は子孫を増やすことを覚え、沖縄の島々には「ヒト」が増えていきました。


古宇利島には2人が子作りをしたといわれる洞もあります。

晴れた日に渡りたい古宇利大橋

古宇利島 に行くならば、ぜひとも晴れた日を選んでください。日の光を浴びた海の色は信じられないくらいに美しいのです。何層もの青が織り成す自然の神秘です。

エメラルドグリーンの海をまっすぐ走る古宇利大橋。眼前に広がる風景を見ているだけで、古宇利島が神の島としていつくしまれてきたことを実感できます。

 

                                            

 左側と右側からの古宇利大橋を撮って

 みました。天気が良ければ良いんですがね!

 いつか。またリベンジです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これがワルミ大橋を渡ってる時の車中からの景色です。他の写真をスライドにしましたのでご覧くださいね。フルスクリーンモードでどうぞ!

 

                    

                  古宇利島風景

 

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